2022年09月29日

国葬に思う

 野田佳彦元首相が「葬儀に出ないのは私の人生観に外れる」と述べて国葬に出席された。私も味わった重圧と孤独を最も長く経験された方だ」としたうえで、「長い間お疲れさまでした、と花を手向けてお別れしたい」とも語った。
政府と意見は違うが、今は静かに花を手向けようという、真っ当なことを言う人がいたのだと思うとホットした。


安倍氏との党首討論を思い出す。当時首相だった野田氏が「16日に解散をします。やりましょう」と宣言した。自民党総裁に返り咲いたばかりの安倍氏が驚きの様子で、「約束ですね、よろしいんですね」と繰り返し確認した。歴史に残る名対決だった。

菅前首相の追悼の辞
菅前総理訥々と、なんの飾り気も、誇張もなく、真っ直ぐな思いで語られ、盟友だからこそわかること、盟友だからこそ見てきた素顔がしみじみと伝わり、どんな美辞麗句よりも心に響く追悼の辞だった。
終わりには、期せずして拍手がわき上がり、普通なら有り得ないが、違和感より感銘ある場面だった。


安倍元首相は、
課題が山積した日本で国政と外交を8年勤めた。これはどれほどのことか。周りすべてにいい顔をしていては総理など務まるはずなどない。そこには絶対に曲げない信念とビジョンが必要になる。まさに不世出の政治家だったと言える。


議員会館の机の上に残された安倍氏の読みかけ本があり、そこには 
山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んだ詠んだ歌だった。    
この歌は、菅元首相の今の心境を表したものだという。

かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 
 粛々と国葬が進む中にも汚い言葉で罵るデモも本来の日本人の姿では無い。
 
 同じ目的を持った朋友の死を貶めることにばかりに心血を注ぐようなら、もはや政治家ではない。国のために最後まで働いた方々の死を素直に悼むことができる人が一人でも多くなれば、日本の未来もより明るくなるのにと思う。
安倍さんの目指した「美しい日本」はいつ来るのだろうか。

     『日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ』

 安倍さんの言葉が聞こえる。

2022年09月14日

安部元首相の「国葬」論議に思う

安部元首相の「国葬」をめぐって、マスコミが連日国民の50%以上が反対だとか、野党の人々が国会の承認がないのに、内閣で決めるのはおかしい。とかさかんに息巻いている。

私は内閣がいきなり「国葬」を行うと決定したのには異論がないわけではない。

しかし、国会の個々の議員が自分宛の招待状の写真をアップして欠席を表明するのは、如何かと思う。
ある評論家は『はしたなく見えるのでやめた方がいいと思いますよ』と言っていたが私はその通りだと思う。


故人の弔いにこんな風にケチをつける。しかも国会議員が。「人としてどうなんだろうか」と思ってしまう。そして、私は人の死という尊厳に土足で踏み込んでいくのを見るように感じる。


弔意を示したくないならば、示さなければいいい。しかし「弔意を示したくない」「国葬には欠席する」とわざわざ言う必要があるだろうか。それこそはしたない行為ではないだろうか。 黙っているというのが最低限の礼儀だろう。このような礼儀すらわきまえない人ががいるのは恥ずかしい限りだ。


安部元首相には、いろいろな批判はあるが、私はこの国を代表する歴史の残る偉大な政治家者だったと思っている。在任中あれだけ世界中を飛び回り、各国の首脳との親交を深め、日本の存在感を示した首相はかっていなかっただろう。


批判する野党の人々に問うてみたい。「あなたがたは安部元首相のような政治の足跡を残してきたのか」と。

2022年09月13日

仙台育英高校悲願の初優勝

 今年の全国高校野球は、仙台育英高校が東北勢として初めて全国制覇を果たし感動のうちに幕を終えた。マスコミは優勝旗が“白河の関”を越えたと、ステレオタイプでいうが、近年この高校野球、全国にスカウト網をはり巡らしているいる私立高校によるスカウト合戦が繰り広げられ、選手集めが公然と行われている。昔に言う『おらが故郷の〇〇高校』とはほど遠い。
 
 例えば、決勝戦に進んだ下関国際高校の出身選手の内訳をみると、兵庫5名・広島4名・福岡4名・大阪3名・和歌山県1名と山口県出身の選手はわずか1名と少ない。
優勝した仙台育英高校の内訳をみても、山形3名・岩手2名・青森1名・大阪1名・広島1名と、宮城出身の選手は9名。でもほとんどの生徒は付属中学と、東北地方の出身選手で占められている。何かチーム作りの根幹が、「中学校の選手に対して、情報収集できるか」に偏っている。


 また、私立高校には寮があり、専用球場や雨天練習場までも完備されている。これに対し、公立高校はグランドは他のクラブと共用。練習時間の制限もある。そんな公立高校が優秀な選手が集められ、プロのような設備のある私立高校に勝てるはずがない。


それに近年、投手の球数制限のあって、かっての太田幸司・桑田真澄などのようにエース投手一人がチームを引っ張っていくことは不可能だ。
今の高校野球は、勝つためには圧倒的な投手陣を形成しなければならない。仙台育英は部員82人中19人が投手だというのもスゴイ。また、投手陣だけでなく、いかにレギュラー選手と控えの選手の差を少なくするかということが戦力の充実の近道ということになる。
 

「見つける」「育てる」「生かす」私はこれが人材育成の要素だと考えていた。しかし「見つける」に重きがさかれ、並の選手が、指導者に叱咤・激励されながら努力を積み重ね、学習していきながら成長していく。それが高校野球の魅力ではないだろうか。


 私立と公立の差はますます開くいっぽうだ。こういったことを規制していかないと、高校野球の純粋さが失われ、一部の強豪校と言われる高校に選手が集まり、高校野球はもう高校野球でなくなる。そんな気がするのは私だけだろうか。かっての池田高校・佐賀北高校などの公立高校の暴れぶりはもう甲子園では見られないのだろうか。

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