2021年02月17日

混沌とした時代を生き抜く力

             織田信長の父信秀の教育に学ぶ

 コロナ禍の今、新しいことを学び、吸収する姿勢がこれまで以上に求められています。時代の変化を前にしても、前向きに考える人、現状維持に甘んじる人に大別されます。
歴史上の英雄と言われた人物は特に「現状維持に甘んじる」ことなどなどなかったでしょう。


 私はよく、「普通のことを普通にしていたんでは、通用するわけなどない。世の中の流れ、要望をつかみ取り、異常と思われることでも素早く行動に移すことが肝心だ」と周りの者に言ってきましたが、今こそその力を試されている時だと思うのです。 


 私は歴史上の人物でも、特に織田信長が好きです。信長は変化に臆することなく、進取の精神に富んだでいました。
「古いものを打破して、新しいものを出現せしめる」信長のこの姿勢は比叡山の焼き討ちなどを見て、残虐この上ない人物と後世の人は言いますが、信長は自らを変革者といい、古い権威を叩きつぶし、新しい実力主義の時代の基礎を築いたのです。
この考えは、信長の父信秀の影響によるものが大です。信秀は文武に優れた人物で、朝廷との結びつきも深いものがありました。
 

 しかし、信長に対しては、自分と同じ教育を一切させていません。普通の親のなら、子どもも自分と同じ教育をほどこしたい、と思うに違いないのです。しかし信秀は、時代の先を読んだうえで、信長をどう育てるかを考えました。 

 時代は、室町時代から戦国時代に移り、激しさを増しています。今までのように、小国同士が、小競り合いをくり返す程度の戦いでは済まなくなる、と信秀は感じていました。
 
 時代が大きく変わる中で、これまでの知識、教養をただ身につけるだけでは、せいぜい自分がやってきた程度で終わってしまう。新しい時代を切り開き、生き抜くためには、常識を超える発想が必要であり、積極的にどしどし挑戦していく気持ちが、何よりも大事であると考えたのでした。


 信秀は、信長には自分やりたいこと、また得意なことだけをやらせるようにしました。決して押しつけたりせず、彼が求めたものだけを与える教育を施したのです。
信長が馬に乗りたいといえば、馬術の達人を連れてきて、教えさせる。信長がのちに、合戦の前後で一騎駆けをするのは、馬術によほどの自信があってこそです。


 当時、時代の先端をいった鉄砲の練習にも、好きなだけ打ち込ませました。自分で鉄砲を撃った戦国武将は多くいますが、試し撃ち程度で終わっています。しかし信長の射撃は、相当な腕前だったと言われています。信秀は、長所を徹底的に伸ばす教育を、徹底的に信長に施したのです。
 

 人はうまくできなかった経験を、その後ずっと引きずって生きてしまいます。それはコンプレックスとなり、その分野が得意な他人に対して引け目さえ感じるようになります。でも、信長は子ども時代から、何をやっても上手くなったという成功体験しかないため、誰に対しても、コンプレックスを抱くことがありませんでした。


 学問は得意な家臣に任せておけばよい、自分よりも学問に詳しい人間がいても、信長は劣等感を持ちませんでした。なぜなら、自分は取り組んだことはすべて上達したわけですから。
 そんな教育を受けた信長は、いい意味で自分が信じる道を、ひたすら進みつづけることができました。その結果、古い体制を打ちこわし、新しい国造りに力を尽くすことができたのです。
 

 混沌とした今だからこそ、信秀から学ぶことが多くあり、今だからこそ私たちの力が試されているのです。

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