2010年03月31日

21世紀枠に負けたのは末代までの恥

それは驚くべき言葉だった。
 「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」島根県の私立開星高校の野球部監督のセンバツ甲子園での敗戦の弁である。
 更に「こんな試合にしかできないのは監督の力が足りないこと。もう野球をやめたい。腹を切りたい。死にたい。」とまで言った。


 開星高校の対戦相手は、和歌山の向陽高校。あの伝説的な大投手、嶋清一さんの母校でもある。向陽高校の前身の海草中学で、嶋さんは何と前人未到の全5試合完封。特筆すべきは、準決勝・決勝で2試合連続のノーヒットノーランを達成したことである。
 

 その向陽高校は今回、「21世紀枠」でセンバツに選出された。「21世紀枠」とは、地区大会でベスト8以上の成績で、地域性・話題性など考慮され、各地区の高野連から推薦をうけ、最終選考で2校がセンバツに出場できる枠をいい、夏の大会にはないセンバツ独自の選出法でもある。
 

 島根県で優勝し、中国大会も豪打で制した開星高校は、本大会では優勝候補の一角にあげられていた。抽選で「21世紀枠」向陽高校との対戦が決まると、組み易しという雰囲気につつまれ、相手チームのビデオ研究などほとんどせずに、本番に臨んだ。しかし、向陽高校のクレーバーな試合運びに敗れてしまった。
 

 この佐々木監督は、異色の美術教師で「山陰のピカソ」と呼ばれ、生徒にはカリスマ的存在だという。もともと女子高であった開星高校を「島根のこどもで全国を目指そう」と約20年かけて野球部を強豪に育てあげた。
 
 監督の人生訓は「動機善なりや、私心なかりしか」これは日本航空の新会長になり再生を任された稲盛和夫氏の言葉で、動機が善ならば、結果を気にする必要は無いという意味だ。
 

  しかし、敗れた時にこそこの言葉を思いだすべきだった。高校野球は「人間教育の場」でもある。野球を通じて人間としての力を育んでいるのだ。人間的な進歩なくして技術的な進歩はない。全国大会であるから勝ちにこだわるのは当然のことである。しかし、相手を侮辱するような発言は慎むべきだ。
お詫び会見でも、グレーのスーツに黒シャツ、極彩色のネクタイ、真っ白な靴、その道の人を思わせるようなド派手な衣装。いくら涙を流しても反省しているようには見えない。抗議が殺到し、挙句の果ての辞任劇。
  

 ボクシングの亀田兄弟に見られるよう、対戦相手に敬意を表さないような者は、一時的に勝っても長続きしない。徳が備わり一生懸命に努力する者に運は味方するものと私は思う。
 

 勝者より敗者のほうが学ぶべきことはたくさんある。佐々木元監督は、今それを一番感じていることだろう。原点の純粋さに立ち戻れば、また再生の道も開かれると思う。

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