2008年11月28日

「車イスのサッカー監督」 羽中田昌

 羽中田昌43歳。彼は今年1月、サッカーの四国社会人リーグ・カマタマーレの監督となって、いきなりリーグ優勝を果たした。
  
  羽中田さんは高校時代、山梨県のサッカーの名門韮崎高校のエースストライカーで全国高校選手権でも活躍し、将来の日本を担うエース最有力候補と言われていた。しかし、大学進学を目指した浪人中、バイク事故で脊椎損傷を負い、下半身不随となってしまった。
その後約9年間山梨県庁に勤めるが、1993年のJリーグ開幕でかつての仲間やライバルが活躍する姿を見て触発され、「指導者としてのサッカー人生」を歩もうと、安定した県庁勤めを捨て、スペインに5年間サッカー留学した。
 
  「迷えば難しい方を選べばいいんじゃない」これは彼の妻の言葉。それが彼の生き方になった。つらい時はいつも傍らには妻が傍にいた。「彼女がいたからこそ今がある」彼のこの言葉が彼女の存在をよく表わしている。
留学から帰国後はサッカーコメンテイターとして活動。主に海外サッカーの解説をしながら、高校のコーチとして指導にあたっていた。
 彼は2006年9月、日本サッカー協会の・Sライセンスを取得した。もちろんこれは身障者としては史上初のできごとだった。Sライセンスは最も格の高いライセンスで、これを取得すればJリーグの監督はもちろんナショナルチームの監督もできるという資格だそうである。
  

そして、今年サッカーの四国社会人リーグ・カマタマーレ監督となって全勝でリーグ優勝を果たした。彼の座右の銘は「苦しいからこそ下を向かない」。試合にミスした選手は落ち込んで、次のプレーにも影響が及んでくるが、「試合にミスしたらもっと笑ってみろ」。彼は選手に苦しい時こそ笑え、笑えば気持ちも前向きになり、体もリラックスする。そうすれば本物の力が出てくると言う。
 

 ハンデイを抱えながら、夢をひたむきに追い続ける。すごいことだといえば簡単なことだが、健常者である我々には羽中田さんの苦難の道のすべて理解することはできない。私たちは恵まれすぎているがゆえに、恵まれているということを十分知り得ない。それゆえに、自分のおかれている幸福に埋もれることなく、多くのハンデイを抱えた人たちが力を発揮できるようなよりよき社会を作っていかなければならないと羽中田さんを見てつくづく思った。