2008年07月21日

ありがとう野茂英雄投手

  日本人選手の大リーグ進出の実質的なパイオニアとなった野茂英雄が現役を引退しました。トルネードと呼ばれた独特の投法でメジャーの一流選手をキリキリ舞させたあの姿がもう見られないのは寂しい限りです。


野茂は闘志をむき出しに打者に向っていくタイプの投手ではなく、表現力は決して豊かとはいえませんでした。しかし闘志を内に秘めて、黙々と投球する姿は「孤高のトルネード」と呼ばれました。持ち球は大上段から振りかざす重いストレートと、落差の大きいフォークボールの2種類だけ。これで堂々と巨体の外国人選手とわたりあったのです。


メジャーデビューした95年には13勝6敗で新人王、奪三振王のタイトルを取り、その年のオールスターゲームに先発出場しました。当時アメリカではメジャ^―リーグのストライキなどがあり、野球の人気は低迷していましたが、野茂の出現で人気も回復し「ノモマニア」と呼ばれる熱狂的なフアンも生まれました。


また彼はナショナルリーグ・アメリカンンリーグの両リーグでノーヒットノーランを達成しています。これは大リーグ史上4人目の快挙でした。ノーヒットノーランを達成して祝福するチームメイトにマウンドでもみくちゃにされながら照れくさそうに右腕をかざしている彼の姿は忘れられません。


当時のクリントン大統領は野茂を「日本の最高の輸出品」と言いました。それだけ彼の活躍は鮮烈だったのです。しかし、野茂は日本を背負ってアメリカに行ったわけではなく、一匹狼の自分の力が大リーグでどれくらい通用するのか試したかったのではないでしょうか。それは小鹿がマンモスに挑んでいくようなものであったかもしれません。しかし、負けなかったのです。それにはひたひたと生きる男の強さを感じます。


  野茂は日米合わせて201勝をあげるなどすばらし記録を残しましたが、記録以上に「記憶」に残る選手でした。今、イチローはじめ、松井、松坂など20人近い日本人メジャーリーガーが活躍していますが、その道を拓いてきたのは間違いなく彼です。彼の残してきた功績は計り知れないものがあります。私は彼の功績は「国民栄誉賞」ものだと思います。


「よく悔いがないとないと言って引退する人がいるが、自分はまだ悔いが残る。もっと野球をしていたかった」引退会見で発した彼の言葉は「ボロボロになっても納得するまで野球を続ける」という思いを遂げられなかった悔しさからくるもので、彼の生き様を表わした言葉だと言えます。


かっての一本足の王やサッカーの中田のように、まだ余力があるにもかかわらず引退する引き際の鮮やかなプレイヤーもいれば、最後の最後すり切れるまで泥臭く野球を追い求める野茂のようなプレイヤーもいます。私は野茂のような生き方が好きです。私は野茂のようにボロボロになるまで自分自身に挑んでいこうと思っています。

 
  ありがとう野茂英雄投手。今後は、あなたのような個性あふれる選手を育て、ベースボールの発展のため尽力されんことを願っています。
お疲れ様でした野茂英雄投手。

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