2020年03月21日

野村克也 さんを偲んで

 あの野村克也さんが亡くなられた。名選手であり、名監督でもあった。でもその道のりは決して平坦なものでなく苦労・苦労の連続、努力・努力の積み重ねだったという。母親だけの貧しい家に育った野村さんは、母親を楽にさせてあげたい、その一念でプロ野球の選手になった。それもテスト生としての南海入団だった。入団一年目から試合には出させてもらったものの、11打数0安打5三振。シーズン終了後戦力外を通告されたが、解雇寸前の交渉時に「クビになるようなら生きていけません。南海電鉄に飛び込んで自殺します」と嘆願した。当時の球団職員からは、「お前は活躍できない」と苦言を言われつつも何とか残ったそうだ。その人が戦後初の三冠王になった。
 

 私は高校野球の監督の時、野村さんの本を読み漁った。いろいろな名言があるのだが、その中でも私の中にしみこんでいるリーダー論がある。
  「好かれなくてもよいから、信頼されなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない。」
 

 「叱ると褒めるというのは同意語だ。情熱や愛情がないと、叱ってもただ怒られているというとらえ方をする。」

 リーダーは「尊敬と、少しの恐怖」で組織を動かしていくべきで、その潤滑油が笑い(ユーモア)だ。


 この言葉を胸に刻んで自分にも厳しく、生徒たちにも厳しく指導に当たってきた。その結果雑草の寄せ集めであった彼らはエリート集団のチームを打ち負かまでの大きな成長を遂げてくれた。その生徒たちとゴルフし、飲み会で語り合う会はもう何十年続いていることか。
野村さんは、私にとっても野球や人生の師であった。故郷が京都の峰山で私の故郷兵庫の出石と近いこともあって親近感は感じていたのだが、王・長嶋の全盛期にパリーグといえ、三冠王を達成した。自分を「月見草」に喩え、雑草の心意気を示した。


 監督になっても、「野村再生工場」と言われたように、くすぶっていた選手を見事よみがえらせた。「固定観念は悪。先入観は罪」この考えから生まれている。野村さんの功績をあげれば、枚挙にいとまがないのだが、下積みの上に積み重ねた理論は確かなものだった。
苦しい練習でも自らに打ち勝つ為に頑張り、その心を持ち合わせた野村さんは見事な花を咲かせた。


 ニューヨークタイムズは「戦後の日本球界の大黒柱。監督として長いセカンドキャリアを送る前に、日本で最も偉大な捕手の1人だった」と、そのキャリアを絶賛している。
野村さんの生の言葉を聞けないのは残念だが、野村さんの教えは私たちの中に永遠に生きている。それを受け継いで私も生きてゆきたい。

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