2018年09月27日

体罰=暴力=悪と叫ぶマスコミにうんざり

 なぜ今、スポーツ界で騒動が起こっているのだろうか?。
今年に入ってレスリングに始まり、アメフト・ボクシング・体操と続き、テレビなどではパワハラ・パワハラと多くの意見が飛び交っている。
 

 私は、高校時代『巨人の星』を見てプロ野球選手に憧れ、大学時代『スクールウォーズ』を見て感動に心震わせ、教師を目指したものだった。


 巨人フアンの私にとっての宿敵、今は亡き星野仙一さんも大好きだった。それは熱さゆえである。あのころの人たちは星野さんの鉄拳制裁に何か言いがかりや文句をつけただろうか。それどころか「愛のムチ」と言って認めていたのではないだろうか。


 それは星野さんには選手を思う「」があり、チームを思う「熱さ」があったからではないだろうか。


 「スクールウォーズ」の中でも、一番記憶に残っているシーンは大会で大敗を喫した後のロッカールームで熱血教師がチーム全員を殴るところだ。
あの時、「悔しいです!」と泣く選手たちに、「俺が必ず勝たせてやるチームを作る。そのためにお前たちを殴る!」と言い、全員を殴り倒した。これは暴力と言えるだろうか。

 これを暴力と言える人たちは殴ったということを前面に出し、先生と選手との絆・愛などは全く見えていない。実際指導にかかわったことない評論家などの戯言に過ぎない。
体罰は悪いことは誰も分かっている。しかし、魂をこめて指導に当たる時、殴らなければならないことある。


 私は今言われている体罰指導を無くそうとする動きは否定しない。しかし、体操の宮川紗江選手が、コーチに、あれだけひっぱたかれても、それは指導の一環だと言いいきる。それは、コーチとの間には深い絆・愛情と信頼関係があったからではないか。
また宮川選手の殴られるシーンが公開されるやまたも体罰=悪という考えで、あの選手は洗脳されている」と言う人たちは、自分の常識の中でしか物事を考えることができない薄っぺらい見識の持ち主だ。


 この人たちは、『スクールウォーズ』のあの教師を前にして、体罰は暴力で悪なんだと面と向かって言えるだろうか。
これらの考えの蔓延はゆとり教育を反映したものではないだろうか。先輩や指導者それに親を敬う気持ちが薄く、熱ししやすく冷めやすく、飽きっぽい、しんどいことを避けようとする、我慢が足らない。そして自由と好き勝手を履き違えている面がある。

 そんな人たちに対し、きつい言葉も発しにくい。パワハラ・パワハラと難しい世の中になったものだ。


話を戻そう。
星野仙一さんは、「『体罰だ! いじめだ!』と言うけど、選手なんかは指導者から言われるうちが花やないか。それだけ親身になってくれているということ。このままじゃ指導者はどんどん“事なかれ主義”になっていくぞ。何かあっても『私は関係ありませ〜ん』だよ。と言われた。 
 

私ももう一度言おう。
私は子どもにとってある程度のお仕置きは必要だと思っている。私は暴力肯定論者じゃないけれど、私のこれまでの経験から痛みから生まれるエネルギーはあると信じて疑わない。

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