2018年05月01日

「京都龍馬会」のメンバーになりました。

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 私たち高校時代の友人4人が集い、月に一度ゴルフと飲み会を行っている。これはもう10年近くにもなるだろうか。高校の同窓会で35年ぶりに会った旧友が趣味が一致したこともあって、月に一度会ゴルフをやろうじゃないかということになった。そんなら飲み会もやろうということで、ゴルフとは別の日に神戸や京都で飲んだあとカラオケを楽しんでいる。

 カラオケは「高校三年生」で始まり、「高校三年生」で締める。「高校三年生」は我らが青春の歌そのものだ。会では高校時代の話に花が咲いて、歌も高校時代の歌や故郷の兵庫出石のうたが定番で青春のノスタルジーにしたっている。


 そんな会が今回京都であり、あの池田屋事件の跡地にある居酒屋「池田屋」で飲むことにした。京都だというのに、ここのほっけは姿かたちも大きくアブラものっている絶品。これ以上のほっけは見たことも無く食べたこと無い。
このほっけ食べに訪れるのは二度目になる。いつしか我々の間では、京都といえばほっけの池田屋ということになってしまった。


 カラオケでさんざん歌いまくった後、本能寺の跡地を見学し、木屋町の商店街をぶらついていた時にふと目にしたのが「龍馬」の看板。店の名前から坂本龍馬に心酔する人かゆかりのある人がこの店を開いているんだろうなと思い、店に足を踏み入れるとビックリ。

そこはまさに龍馬ワールド。出迎えてくれた店の主人は龍馬を想わせる総髪 にはかま姿 。友近似の奥さんは着物がよく似合う京美人。また、良子という名は龍馬の妻おりょうを想わせる。店には龍馬関係の資料がズラリ。私にとってはここはまさに宝庫。更に嬉しかったのはここが「京都龍馬会」の事務局で、総髪姿のご主人は理事長だということだ。


 京都龍馬会の会員は300名以上にのぼる。会では龍馬やそれをとりまく幕末の研究しながら、セミナーを開いたり、龍馬ゆかりの地に碑を立てるなどの活動をされており、た私はすぐに会のメンバーに加えていただいた。
 

 私の学生時代は70年安保の時代。学園紛争に参加したこともあり、当時の友と夜を徹して酒を飲みながら世の中の不合理・不条理を語り、明治維新の志士を気取っていたものだ。その中で司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、龍馬という人物を自分なりに徹底的に研究した。
 私は龍馬の好きな言葉がある。
 「事は十中八九まで自らこれを行い、
          残り一・二を他に譲りて功をなさむべし」

 事をなすには自分で8割をこなし、後の2割は他人にゆずってこそ大きな成功は収められるということだと自分なりに解釈しているのだが、この言葉まさに龍馬の生き様を語ったものだと思う。
 

 ペリー来航に衝撃を受けた彼は「このままの日本ではダメだ」と立ちあがり、幕府を倒して、天皇中心の国家の樹立の必要性を痛感し、新しい日本を切り開くため、命がけで改革をすすめ大政奉還という大変革を日本にもたらした。


 目を世界に向けながら、一度も海外に踏み入れることも無く、志半ばで暗殺されてしまった。
龍馬がもし生きていれば、どんな明治維新になっていただろう。彼の言動からすれば、自らは決して政府の一員に加わらなかっただろうし、国を挙げての公武合体の考えから将軍慶喜をも新政府に加えようとしたにちがいないと思うのだが‥‥


「竜馬が行く」はこれまで11回読み返したが、もう一度読み返してみよう。そして「龍馬」で酒を飲みながら坂本龍馬をみんなと語ろう。また、京都に行く楽しみが一つ増えた。 

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