2017年08月26日

公立の雄、大阪の大冠高校

 埼玉の花咲徳栄高校の優勝に終わり、広陵高校の中村奨成選手の大会新記録の6本塁打にわいた今年の甲子園だったが、その甲子園にほんのわずか届かずに涙をのんだ高校があった。


 その一つが、大阪の大冠高校。名前から私立高校かな思ったのだが、何と高槻市にある公立高校だという。ユニフォームは上から下までまっ白。左胸に黒い文字で縦大きく「大冠(おおかんむり)」と書かれている。これは、7年前に私立高校に敗れ、「初心に帰るため」と全身白に統一した。


この高校が大阪大会の決勝戦まで進出し、春のセンバツの優勝校、大阪桐蔭と対戦した。
公立高校であるため、練習時間は3時間半。他の部と共用のグラウンドでは、週2回程度しかフリー打撃をできないため午前6時半からの朝練を実施した。

 
 「大阪で勝つには打つしかない」就任21年目の東山宏司監督(55)の練習の7割はバッテイング練習に費やした。

 大冠には”10種類の素振り”というメニューがある。これは10種それぞれに体重移動やインサイドアウトのスイング軌道など、目的を定めてスイングする練習だ。

 バットも長尺、短尺、打ち込み用の重量バット(金属)、鉄のバット、さらに不要になったバットに針金を巻きつけたものなど、何種類かのバットを使い分けながら、平日は1000本、土日は2000本の素振りを続けてきた。


 「ストライクは全て振れ」
これはかって甲子園を騒がせた池田高校の蔦監督を彷彿とさせるものがある。
 試合は終盤まで1点を争う展開となったが、大阪桐蔭が底力を見せつけ、8回裏に5点を挙げて10対4と一気にリードを広げた。

 スタンドの観客も「ここまでか……」と思った。しかし、大冠の選手たちには誰ひとりとして試合をあきらめる者はいなかった。6点を追う9回連打を重ね4得点をあげ猛追したが、あと一歩及ばなかった。


 しかし、プロ注目の選手がいるわけでもない大冠高校の13安打8得点はセンバツ王者に引けを取らない打力だった。
 今回のレギュラーメンバーを見ても、大半は中学校の野球部に所属していた軟式出身者。
 エースの丸山選手は中学時代は一塁手兼投手の選手だった。東山監督が振り返る。
「いい選手はあちこちの私学に誘われて、丸山は言わば残っていた子。その丸山がこれだけ投げてくれた。ここまでの高校2年半でこの成長は本当に嬉しい」


 「バッティングを掲げてきたウチの野球はできました。ただ、結果として甲子園に連れて行ってやれなかった。気持ちのある子がそろったチームで、厳しい練習にもついてきてくれた。私に力があれば、勝ち切れたかもしれなかったのに……」
日差しに照らされ続けてきた東山宏司監督の褐色の肌が、これまでの長い道のりを物語っている。


 「悔しさは全然ない。全力でやり切った」
 大阪桐蔭とガチで打撃戦をした、府立大冠無理高校の選手のさわやかな声が耳朶の底に今も響いている。

2017年08月24日

機内で熱唱!松山千春

 「いったい、いつになったら飛ぶんだ…」。保安検査所の混雑で1時間以上出発が遅れ、乗客のイライラが最高潮に達した新千歳空港の機内に、あの松山千春の伸びやかな歌声が響いた。


 松山千春はこの便に偶然搭乗しており、機内の険悪な空気をすこしでも和らげようと自分から乗員に申し出たのだという。このサプライズに、乗客は大喜び。
松山千春もすごいけれど、それを許可した航空会社もまたすごい。


 普通、セキュリテイ上認められない行いだろうが、機長の粋な計らいで歌うことが許された。
 松山千春は自己紹介の後、、キャビンアテンダントが使用する受話器型のマイクを手に「滅多にこんな事はないんです。皆さん頑張ってますから、もう少しお待ち下さい」などと語りかけ、機内の乗客のため「大空と大地の中で」のワンフレーズを歌った。


 最後に、あの独特のトーンで「皆さんのご旅行が、またこれからの人生が素晴らしいことをお祈りします。もう少しお待ち下さい」と、機長やキャビンアテンダントに代わって謝罪した。
この神対応に、乗客からは拍手が起き、ムードが一変。彼がマイクを取ったわずか2〜3分で機内の空気は穏やかになったという。


 乗客の一人は「歌が終わると、機内は拍手と歓声に満ち溢れ、遅延していることへのいらだちなど 吹っ飛んで行きました。松山さんの粋な計らいのおかげで、『松山千春さんも待っているのだから』という気持ちになり、旅の最高のエンディングにもなりました」


 航空会社によれば、歌手が機内で歌ったというのは聞いたことがない。まれなケースだとのこと。
松山千春も「歌い出して40年たつけど、CAのマイクで歌ったのは初めて。出しゃばったことしちゃったけど、『何とかしないと』と思った。機長さんもよく許してくれたと思う」とラジオ番組で話した。

 私は松山千春の曲が大好きで、カラオケでもよく歌う。特に「大空と大地の中で」や「窓」を歌う時は特に気持ちが入る。

 あの風貌と間逆のすばらしい感性と心意気に酔いしれながら。今日も気持ちを込めて歌おうか。

 「いつの日か 幸せを 自分の腕でつかむよう」


2017年08月18日

故郷、出石での”炎”の学習合宿

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今年初めて、中3生徒の学習合宿を実施した。これは夏休みの集中的な学習を通じて、学力の向上や、学習意欲を高め、自主的に学習に取り組む習慣をつけること。集団行動を通じて受験生として進路の意識を高めることを目的として行ったもので、塾生には3日間で24時間の勉強を課した。
場所は私の故郷の豊岡市出石町にある「一輪亭」。


 この「一輪亭」は民家を改造したもので宿泊することもできた。。友人がそこの世話役をしており、高校の同窓会で使用したこともあった。そんなことから私は塾生をここに連れてきて、山の中の自然に触れながら勉強に集中させようと考え総勢72名で奥山と呼ばれる地域で合宿することにした。


 奥山には、住人は7名だとか。男子生徒が宿泊した公民館の隣には朽ち果てた廃屋があった。その廃屋は屋根は一部崩落しているものの表札や洗濯機、物干しさおなどそのままに残されており、外からわずかに見える家の中は昔私が住んでいた家そのものだった。驚いたことに、元の住民が鉢植えで栽培していたであろうプチトマトは赤い実をつけており、私はそのひとつを口の中に入れた。


 合宿では生徒に厳しさを求めた。テストが合格点に達しないと合格するまで再テストを繰り返した。はじめは合格点に達しない生徒が多かったのだが、だんだんとその数は減っていった。でも生徒の中には、午前0時に再試験を受けた者もいた。「教育とは意識づけだ」と信じて疑わない私だが、生徒はよくそれを実践したと思う。


 2日目の朝、5時前に目覚めた私が散歩に出かけようとすると、2人の女子生徒が玄関に立っていた。何でも5時に再試験をするから宿泊所に来いとのことだったが、それを言った講師はいない。どうしようかと困り果てていたのだと言う。そこで私が代わりに即席テストを行い、2人とも合格した。そのときの2人のうれしそうな顔といったら。
昼食は出石そばの食べ放題。地域の人が総出でもてなしていただいた。女の子があまり食べなくたくさんあまってしまったことが残念。でも、どの生徒もおいしい、おいしいと食べてくれたことがうれしかった。


 最終日は合宿で皆が楽しみにしていたバーベーキュー。玉ねぎ・ピーマンなど地元の野菜などに加え但馬牛やマスなどの魚もおいしかった。台風通過の雨の中勉強を終えた生徒がはちきれんばかりのにぎやかさ。その熱気からか雨も去り、メインイベントのスイカ割り。生徒の大きな歓声が山中に響き渡った。
帰りにはおにぎりなどいただいてバス乗ると爆睡。なんとも心地いい疲れだった。


 帰ってから生徒が書いた合宿の感想文を読むと、うれしい言葉が多く見られた。

 夏合宿では、長時間勉強しました。最後にテストがあると思うと、がんばろうと思いました。すごく集 中できたし、いままで難しいと思っていた問題を解けるようになりうれしかったです。食事の時とか、寝る時とかいろんな子と仲良くなれたし、BBQとかスイカ割では、全員で思いっきり笑って楽しめた なと思いました。


 合宿はとても疲れたけれども、とてもいい3日間でした。塾長から「今年の3年は受験の意識が低すぎる」と言われ、自分もそう思いました。合宿ではやさしい民家の方に勉強をする環境をつくって いただき、今まで以上にとても勉強しました。そのおかげで苦手だった一次関数ができるようになり ました。食事は毎回お腹いっぽいになるほど食べました。とくにバーベキュの肉はとてもおいしかっ たです。

 
 はじめは友達できるかな、勉強についていけるかなと不安なこともありましたが、合宿が始まり 友
だちもたくさんできて、不安なことはなくなりました。Aクラスだと言われた時は、ついていける自信がなかったのですが、先生方がわかるまで教えてくださり、わからなかった関数の面積も求めることができるようになりました。
  
 合宿は3日と短い間でしたが、私は人間として成長したように思います。この合 宿に参加して本当によかったと思いました。

 最初は友たちがいなくて合宿に行くのが不安でしたが、でも行ってみると友だちができてすごく楽し い合宿になりました。この合宿で覚えてことを塾でも学校でも生かしていきたいです。


 今生徒は真ん中に「感謝」と書いた色紙に、それぞれの思いを書いている。色 紙は合宿をした「一輪亭」に送るもの。

 来年も出石に行こう。そう思った私でした。

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