2015年06月15日

「9歳で突然父を亡くし、新聞配達少年から文科大臣に」を読んで

 現文科大臣下村博文氏の著書だが、久しぶりに骨のある教育論を読んだ。櫻井よしこさんの、政界で最も誠実な人物を三人あげるとしたら、間違いなく下村博文氏をその一人に入れるだろうという言葉にも大いにうなずける。


 実は私は氏の講演を2度ほど聞いたことがあるのだか、「鬼のような執念」で「血のにじみでるような選挙戦」を闘い抜き、念願の衆議院議員となり、人を育てる教育論を熱く語る下村博文氏に強く魅かれたものだった。


 9歳で父を交通事故で失った。それから母と幼い3兄弟との極貧生活。母は朝から働くづくめ。生活保護を受けてはどうかという人の勧めにも、「自分で働けるうちは、人の助けを借りないでやっていく」という考えを貫き、新聞配達をして家計を助けた。


 私も大学時代、新聞奨学生として4年間新聞配達をした。朝3時に起き、新聞チラシの差し込み、それから約2時間半の新聞配達。夕刊は午後3時半ごろから6時頃まで。雨の日も風の日も雪の日も。それは過酷を極めた。私の周りからは、多くの奨学生が落伍していった。でも、これは当時の私はとって決して苦痛ではなかった。なぜならば、4年間の新聞配達業務を全うすれば、大学の入学金、授業料のすべては新聞社が肩代わりしてくれたからである。貧しい家庭に育った私には、これしか大学に行ける手段はなかったからだ。


 新聞配達をしている私の姿と下村氏の姿がダブッて見えた。だから、何か同志のように感じるのである。


 さて、下村氏だが、自分の誇りでもあり、大好きだった父がいなくなり、心細くさびしくなった時、深夜に父の墓を訪れた。そして、墓に自分の思いをつづった手紙を埋め、自分の生きる支えとした。


 高校進学さえも諦めかけていたのだが、幸運なことに、その年から始まった交通遺児育英会の奨学金制度を利用して、苦学の末、早稲田大学に進学した。この制度がなければ、下村氏はまた違った人生を歩んでいたかもしれない。こうした経験が、氏が育英資金の振興に力を注ぐことになる。
そして、今は文部科学大臣。文部科学大臣として、これ以上の適任者はいないだろう


 著書の中で、イチロー選手の小学校の作文を例に、
 夢の実現に向け本気で動き出したとき、夢は志に変わる。「なれたらいいな」という漠然なことでなく、「必ずなってみせる」という決意や目標や計画性を持て。
「夢は実現させるためにある」この言葉を、教え子たちにつなげていきたいと思っている。