2014年04月16日

目標がその日その日を支配する

「目標を設定し、一歩一歩それに近づいていく。その日々の積み重ねの中で、気持ちで負けないことの大切さを学んだ」
 

 東京オリンピック・パラリンピックの招致のプレゼンのトップバッターで登壇したあの佐藤真海さんの言葉だ。


 佐藤真海さんは、大学時代チアリーダ部に所属していたが、右足の痛みがなかなか引かず、軽い気持ちで病院に行ったものの、骨肉種と宣言された。右足の膝から下を失い、10カ月の入院生活が続いたが、決して絶望はしなかった。「彼女を救ったのがスポーツだった。」それがプレゼンの言葉によく表れている。


 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。 
 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。


 19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。
 

 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
 

 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。


 しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
 

 
 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
 

 
 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。
 

 
 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。


 彼女は、すべて自分の身に降りかかった出来事から感じたことを、さらけ出し訴えた。何度もスポーツに支えられた体験をアピールするうち、自然と笑みがこぼれた。決してオーバーアクションではなく、時に胸に手を当て、かみしめるように語りかけた。


 彼女は失ってしまった過去を見ることより、5年後、10年後の自分を見据えている。だから光り輝いているのだ。彼女の信念はどんな逆境にあろうが決して揺らぐことはない。


目標がその日その日を支配するからだ。