2012年10月08日

謙虚と過信

 この間、YOU・TUBEでゴルフレッスンを見ていると、石川遼の30ヤードアプローチの練習の様子が映し出された。その時、私は信じられないシーンを見た。

 
石川遼のことではない。練習をしている遼の傍らのキャデイーが、なんと石川遼の打ったボールを足でけって集めていた。それも一度だけではない。何度も何度も。私はあきれてしまったのと同時に石川遼は当分勝てないと思った。
 

ボールをけるキャデイーを眼のあたりにして、注意するどころか、直させようともしない。そんなキャデイを雇っている石川遼はプロゴルファーとしての心構えがなっていない。ボールはゴルファーにとってはかけがえのない大切なもの。そんなこともわからないのだろうか。
 

 野球選手が野球のボールをけることあるだろうか。そんなことはありえない。私は高校野球の監督の時、サッカー部の生徒がグランドに転がってきた硬球を足で蹴り返してきた時、声を荒げて叱ったことがある。野球部員はボールを大切にする。それは選手の練習になくてはならないものであって、選手の練習を支えてくれるものであってチームや自分を高めてくれる大切なものだからだ。ボールに敬意払うことはあってもけることはあり得ない。これは野球をする者としての基本の基本だ。そんな心構えができていない石川遼は見たくもないし、そんな彼をプロゴルファーとは言い難い。
 

 私の高校時代の野球部は、まずボール縫いから始まった。硬式ボールは使っていくうちに、糸がすり切れてくる。その擦り切れた糸を全部きれいにとった後、赤い糸を少し長めの針で縫っていく。糸の縫い目は108つある。そう、あの除夜の鐘の音の数と同じだ。除夜の鐘は人間の煩悩を数をあらわすといいう。ボールを縫うことで、ボールに対する愛着が生まれ、自然とボールを大事にするようになる。


 妙に似合っていない石川遼のヘアスタイルなどを見ていると、燃え尽き症候群にかかっているのではないかと思われるし、面白くもない。今の石川遼に3年前は史上最年少で賞金王になり、ゴルフ界の新星と騒がれた頃の面影はない。

 あのタイガー・ウッズを18歳から指導した名コーチ、ブッチ・ハーモンが石川のプレーを見て、「すばらしいポテンシャルを持っている。一度、この手で指導してみたい」と興味を示しているのだという。それだけすばらしいものをもちながら「伸ばすのも自分」「つぶすのも自分」だ。


 しかし、救われる言葉がある。野村克也さんの
 
    「褒められているうちは半人前、けなされて初めて一人前」

 この言葉を胸に、フアンであるがゆえに、あえて言う。石川遼よもっと謙虚になり、初心に帰れ