2012年05月26日

42年ぶりの同窓会(1)

 郷里の出石で高校の4・5組の合同同窓会があった。実に42年ぶりの友との再会だった。皆それぞれにいい年のとり方をしている。ほとんどの者が定年を迎え、悠々自適の生活をしていると思いきや、現役でバリバリと働いている者も多くいて、いやそのバイタリティには驚かされた。
 

 招かれた恩師とも感激の対面だった。音楽の担当の先生の前で、高校在学当時、教えていただいた黒人霊歌の「スイング・ロウ」や「夢路より」などを英語で披露した。しかし不思議なものである。40年たっても英語の歌詞を諳んじ、歌えるのだ。これぞ教育の賜物か。
 

 故郷は遠くにありで思うもの。そして、悲しくうたうもの“室生犀星の詩の一節であるが、やはり故郷はいい。故郷には故郷の香りがあり、温かく迎えてくれる山があり、川があり、友がいる。
同窓会の集合は高校のグランド。同窓会に先立ちソフトボールをするというのでグラブを持ち、勇んで出かけたのだがあいにくの小雨。ソフトボールは中止されたが、母校をじっくり見る機会があった。
 

 野球の練習に明け暮れたグランド。隣の山もいまだ残されたまま。下級生の頃、先輩の打ち込んだファールボールを探しによく山の中に入ったものだ。ライト側のフェンスの向こうにあった民家は無くなっていた。左打ちの私はオーバーフェンスをすること度々、よくその民家に打ち込み屋根瓦を壊したものだ。謝りに行くと民家の人は「ええがな。ええがな。そのかわりあんたら甲子園に行ってよ。」甲子園には遠く及ぶことはできなかったが、朝早くから夜遅くまで練習に打ち込んだ。高校の思い出としては、野球しか出てこない。野球が全てであった。
 

 運動神経抜群だった私は、1年生秋からレギュラーで1番を任された。その年打率は5割を記録し、新聞の地方版で写真入りで大きく取り上げられたこともある。その記事はスクラップして今、手元にある。
 バックネット裏にあったモルタル小屋の部室は無くなり、きれいな2階建の部室棟になっていた。あの頃の練習は精神論、練習中に水を飲むことは一切禁止されていた。真夏の練習では、水分が補給できないため、唾がでないくらいのどはカラカラ、顔や首筋には汗の塩がふいていた。


 思い出の100本ノック。左右前後に思いきり振られ、疲労も極限になる。しかし、100本に近づくと火事場の馬鹿力と言おうか、我々の言う「こんにゃろう魂」が出る。ノックを終えて、バケツの水を全身にかぶせられる。その時、口を大きく開け、これ幸いにとドロ水をのどに流し込んだ。その水のうまかったこと。
 どうしてものどの渇きに耐えられない時、着替えをするため部室に戻ると、予め部室裏側に置いていた牛乳瓶に入れた水を口に流し込む。しかし、真夏の温度で水は熱くなっていた。それでもフウフウしながら飲んだものだ。
 

 野球で学んだこと。「なせば成る」これを胸に刻んで生きてきたが、これからも生きる支えになる言葉だ。それから高校教師になって、野球部の監督歴16年。そして、今。波乱に富んだ人生だったが、まだまだ第二の人生があると自分に言い聞かせ、1日1日を大切に生きている。

 
 還暦は私にとって3回目の成人式。まだまだ若いもんには負けられない。 

 同窓会は2次会・3次会と続き、つもる話に花が咲いた。この日実に4回も「高校3年生」を歌った。