2011年12月26日

東北大震災のつめ跡

 11月に行われた「日本教育者セミナー」で仙台を訪れる機会があった。この時期に被災地東北でセミナーを開くとは不謹慎ではないかとの声もあったが、この時期だからこそ仙台に行こうという理事長の岡村寛三郎先生の強い意向もあり、仙台進学プラザでセミナーを開催させていただくことになった。


 セミナーで第一講座では仙台進学プラザの阿部孝治先生の「震災から学んだこと」の講演を拝聴した。講演で阿部先生は、今回の震災で学んだことを3つ挙げられた。


 一つは「学習塾の強さ」。仙台進学プラザでは、被災した3月11日からわずか12日後の3月22日には基幹教室だけ開けたという。出席率は7割もあったというから驚きだ。
1か月後の4月12日に授業を再開した。生徒は震災からずっと学校に行かないだけに、いや行けないだけに余計「勉強したい」という気持ちが高まってきたという。成績のいい子はもちろん、悪い子でさえも。


 私は資料としていただいた「東日本大震災写真集」をはじめに見ただけに、あの津波に打ちのめされ,壁にヒビが入り、メチャメチャになった教室、車やがれきがうず高く積まれた街角に1か月後塾が再開されるなんて想像さえできなかった。しかし、子どもたちは塾の再開を心待ちしていたというのだ。


 二つ目は「売上げが全くなくなる」ということ。仙台進学プラザでは、1ヵ月およそ1億円の売り上げがある。それがある期間すべてなくなる。経営者として、借り入れをしてでも最低3か月から半年分の現金を持っておくべきだとの指摘は現実味を帯びていた。


 三つ目は「社員の生活支援」である。地震当初、社員とは全く連絡が取れず、動静がつかめなかった。しかし、メールは辛うじて通じたので、少しずつ連絡が取れはじめた。しかし問題は社員の生活保障。地震で収入は閉ざされたのに、社員には何とか生活ができるようにさせなければならない。当然多額の出費が強いられる。


 仙台進学プラザでは、米にして600kg、毎日300〜400個もの炊き出しのおにぎりを配った。何かかが起きても、何もできない人が7割もいた。これには若者が多く、炊き出しの列に並んでも「ありがとう」の言葉さえも発せずに去ったという。

 
 成績が良くて、頭のいい子は動きが速く、すぐに県外に退出。特に福島県市職員の子供は、山形に逃げた。ここにも二極化がはっきりしていた。

 この中で特に驚かされたことは、仙台進学プラザは、塾生の保護者に10万円の支援金を送ったこと。これはなかなかできることではない。塾生が10.000万人いれば1億円の出費になる。弱小塾の我々からすれば到底考えられることではない。だからこそ仙台進学プラザなんだと思う。


阿部先生の生々しい言葉に、思わず息をのみ込んで返す言葉が見つからなかった。


 セミナーの最終日、浜沿いの被災地を見て回った。大震災から8カ月になるというのに、がれきはまだまだ取り除かれていない。海岸沿いの道路を通ると、悲惨な光景の連続。もとあったであろう田んぼの中に多くの車が残されたまま。被災した家屋が何の手入れもなくそのまま残されている。道路の左右のもと家屋があったであろう空き地には、漁船がひっくり返っていた。大型の漁船もある。それも無数に。いったい国は何をしているんだろう。


 最後に漁村を訪れた。日和山と呼ばれる小高い丘にあがって見渡せば、すべての家屋は無くなっており、きれいな更地と化していた。そこに平日だというのに視察という名の観光団のバスが5台もやって来た。観光客は神妙な顔をしているわりには、デジカメで写真を撮りまくっている。いったい何を考えているんだろう。


 私は、被災地に向かって手を合わせ、更地の中から見つけた茶碗の一片をジャケットのポケットにそっとしまいこんだ。これを持ち帰り被災された方々の供養しよう。そう思った。

2011年12月02日

独創的な詩が全国一に

 先日神戸新聞を読んでいた時、若者らしく、みずみずしい詩が目に留まったので紹介したい。
             
                「飴(あめ)」
       
        舌の上で、過ぎた時が流れ始める
        縁日の夜祖母がくれた小遣い
        半券を買う五十円玉の穴から
        ぼくは夢の中を覗いた
        流れ星をつかまえた
     
        僕の手に握ったこんぺいとう
        一つ食べれば1gの宇宙が宿る
        二つ食べれば空も飛べるさ
        折り重なる光の層を身にまとい
        どんぐりあめの惑星へ
        
        母がくれた飴玉は
        「なんでもひとりでできる」の魔法
        くじけそうな時に口に入れれば
        甘い魔力が呼び覚ます、僕の中の七色の闘志
        涙を流して口に入れても
        涙の塩気を海に還すよ
            
        どんな時も飴をなめれば
        タイムマシンが口に広がる
        笑顔の僕が彼方に見える

 高校2年生の西尾光暉君作の詩である。彼は、現代詩の全国コンクールで最高の文部科学大臣賞を受賞した。

まるで宮沢賢治を思わせるような斬新で、独創的な詩風だ。

西尾君は脳性小児まひの障害があり、今も車椅子での生活を強いられている。小学校5年の時、足の手術で入院し、詩はこの時なんとなく日記を書くような気楽な気分で書いたという。
 

 ある日、病院に勉強を教えに来てくれた女教師が詩に気付いた。西尾君は恥ずかしいさのあまり手で顔を覆ったが、その先生が詩を読んで泣いた
 この時、自分の紡いだ言葉で人を感動させることができることを知った。以後、毎日詩を書くようになった。
 

 私にも飴の思い出はある。昔(昭和20年代)は1円で2つの大きな飴玉を買えた。貧しい我が家では飴を買ってもらうことなどなかなかなかった。たまたま祖母から5円をもらうことがあるとすぐに駄菓子屋に走った。口の中で飴玉を転がしながら駄菓子屋から出てくる。それが束の間の幸せだった。
 

 その飴玉を50円を持って買う西尾君。時代は変わったものだ。しかし、一つの飴玉から受ける喜びや幸せは不変のものだ。西尾君は「どんな子供でも、飴玉をなめれば泣き止むでしょう。あの魔法のような力を言葉で表現したかった」と言う。
 

 この表現の中にも彼の計り知れない感受性を見たような気がする。                    
                            (2011年11月22日付神戸新聞から)