2011年11月09日

落合解任に思う

 中日ドラゴンズの落合監督の退任が決まった。退任というより解任といったほうがいいのかもしれない。監督としてドラゴンズ球団史上初の2連覇を達成し、8年間はすべてAクラスであったのにもかかわらずだ。それも、シーズン終盤ヤクルトと優勝を争っているさなかの解任発表だった。
  

彼は実績を残した名監督と言っていい。名監督には名監督にふさわしい解任劇があり、落合監督にもプライドがある。それをズタズタに切り裂いた球団は冷酷としか言いようがない。


球団にも言い分はあるだろう。4億円と言われる監督の高年棒。「勝つことが最大のファンサービス」だとし、ファン感謝デーにも出ることなく、フアンサービスにはあまり乗り気でなかった。

勝つだけではフアンはついてこなかった。観客動員数は08年をピークに約30万人も減ってきた。


名古屋という土地柄は特殊だ。地元出身の選手や生え抜きの選手を歓迎するファン気質がある。そんな中で落合監督は、コーチングスタッフにも地元出身者でなく、勝てるチーム造りのために実力ある最良のスタッフを選んだ。これも球団は快く思っていなかった。しかし、落合イズムはコーチングスタッフや選手間に確実に浸透し、しぶとく得点を重ね、1点を守る野球で勝ち進んできた。


また、落合再生工場と言われるように、球団に見捨てられ、切り捨てられた選手を多く獲得した。「おまえら、くやしいだろう。くやしかったら、くやしさをぶつけろ」この言葉でよみがえった選手は多くいた。元巨人のリリーフエース河原とバンドの名人川合、元オリックスの剛球投手平井、彼らはピークをとっくにすぎていたいわばロートル。しかし、彼らの経験と意地に期待したのだ。彼らは見事よみがえり、河原にいたっては、優勝を決める巨人戦にあえて投げさせた。


チームの補強に高額を投入する巨人・阪神などと違って、現有勢力でその持つ能力を最大限に引き出す見事なまでの采配だった。監督の仕事はチームを勝ちに導くこと。一点を守り抜く野球は、スリルのないつまらない試合だと周りから言われようが、選手時代から“オレ流”を貫き、指導者になってもわが道を貫いた。


象徴的なシーンがあった。07年の日本シリーズ、8回まで完全試合を続けていた山井投手を代え、抑えのリリフエース岩瀬に交代させた。これも「記録よりチームの勝利」を貫いた非常ともいえる彼の監督観の最たるシーンだった。


球団は「新しい風を入れたい」と起用した次期監督は高木守道氏。生え抜きバリバリの元中日選手だ。しかし、年齢は70歳。これで新しい風と言えるのであろうか。落合監督が去り、コーチングスタッフも総入れ替え、これで球団が言う「強いチームの基盤はできた」といえるだろうか。


落合監督あっての中日ドラゴンズの戦績ではないだろうか。チーム打率の最下位の中日ドラゴンズを優勝に導く監督は落合以外にない。残念ながらチームの凋落ぶりは容易に想像できる。巨人ファンの私にとってはうれしいことではあるが、一抹の寂しさを感じる。

球団はファンは落合監督が去ってはじめて気づくだろう。かれがどれだけすばらしい監督であったかを。