2011年05月30日

被災地から甲子園出場を目指す!

 大船渡高校野球部といえば、昭和59年にセンバツに出場し、あの明徳義塾を倒しベスト4に進出し大船渡旋風を巻き起こした岩手県の強豪チームである。震災のその日、野球部の24人は、高台のグランドでいつものように練習中だった。選手は全員無事だったが、7人が家を失い、一人は母親を亡くした。
  
 震災から1カ月は野球のできるような状態ではなかった。幸いグランドが使える状態で残っていたため、4月22日になってやっと練習を再開した。大船渡高校との親交のあった北海道の鵜川高校などの呼びかけもあって、野球グラブやバット、練習着などが段ボールで10箱近くも贈られ、練習できる態勢もやっとできあがった。それにつれ部員の間には笑顔が戻ってきた。急場しのぎのチーム作りであったが、練習試合を続けることで、試合勘を取り戻そうとした。


 そして迎えた春の地区予選は何とか勝ち抜き、県本大会に出場することができた。自分たちが勝つことで震災の街を勇気づけよう、地元のために優勝をと意気込んだ大船渡高校であったが、勝負はそんなに甘いものではない。1回戦、エラーから失点、好機にも凡打を積み重ねる完敗だった。この試合甲子園出場につながらない試合であったが、選手は大粒の涙を出した。


 氏家主将は、震災後の1カ月野球から離れたことを決して言い訳にせず、「まず自分たちが復興の扉を開きたかった。地域の方に申し訳ない。」「あと、2カ月地域の人に待ってもらって、次こそいい報告がしたい」と夏の大会での活躍を誓った。 「今年は誰かのために戦う年になる。」と吉田監督も強い決意で地区予選に臨むという。


 震災を乗り越えようとするのは、大船渡高校だけではない。高田高校。陸前高田市にある学舎は、津波に襲われ、がれきと化したが、正門付近の阿久悠さんの歌碑だけが残った。
その歌碑には「きみたちは甲子園に1イニングの貸しがある。そして、青空と太陽の貸しもある。」と刻まれていた。88年の夏の甲子園。高田高校は、8回降雨コールドゲームで1イニングを残して敗れた。その高田高校に再起を促す歌なのだ。しかし、高田高校は春の地区予選で屈辱的な敗退を喫し、選手は号泣したという。


 大船渡高校、高田高校野球部では、雪辱を期して夏へのスタートは切られている。私たちは部員のみなさんの笑顔にどれだけ勇気づけられたことだろう。部員のみなさんには「涙の数だけ強くなれ!」というエールを贈りたい。

2011年05月09日

被災地の子供たちに学用品を!

 東北の大震災から2カ月になろうとしている。この2カ月は塾業界に携わる私たちにとって「有効で確かな支援の方法」は何だろうかと考えさせられる2カ月でもあった。
 

 塾ではおよそ15万円の義援金が集まった。これは、塾に設置した義援金箱、それと塾の講師の協力によるものだった。特に講師は休日の研修費のすべてを拠出してくれた。驚いたのは、研修会に出席できなかった講師さえもが現金を持ってきてくれたことである。


 さて、集まった義援金だが、塾だからできることをしたい。とすると、やるべきことは何なのだろうか。そう考えていた矢先、ある塾の先生から感動的な話を聞いた。この塾の先生も我々と同じように、塾として何かできないだろうかと考えた末、「被災地の生徒にノートを贈ろう」と決心した。

 
 決心するやすぐに行動に出た。保護者や塾生に呼びかけ3.000冊のノートを集めた。そして、それを被災地まで直接もって行くことにした。ノートはダンボールでおよそ10箱。車への重量負担を考えてとりあえず2.000冊を積み込んだ。


 午後11時に姫路を出発し、福島に着いたのは午後2時。ある避難所に行くと、「ノートは足りている」とのこと。何カ所かの避難所を回っているうちにいろいろなことが見えてきた。まず、足りているもの・不足しているものが避難所によって違うこと。救援物資は十分届いているのに、分配を担当する人が少ないため倉庫に山積にされていることもある。現地情報を十分確認して行けば、もっと効率的に配布できたかもしれない。が、いてもたってもおられずとりあえずノートを持って駆け付けたその先生の姿勢には頭の下がる思いである。


 「必要なものを、必要な人へ」、岩手県遠野市には、物流拠点になっていることから、被災者が欲しいものを自由に持ち帰ることができる“無料スーパー”がある。支援物資と被災者にはズレがあった。震災当初不足していた水・粉ミルクなどは充足し、今は野菜や砂糖、調味料が不足しているという。その点から考えれば、それぞれのニーズに応えることができる画期的な試みといえる。何とこのスーパーにはこいのぼりやふとんさえもあるという。


 全国から被災地の子供たちへ、いろいろな形で救いの手が差しのべられている。ある印刷会社は、余り紙で制作したノートを宮城県に、甲南大学では約7000冊のオリジナル大学ノートを宮城県。岩手県に送った。ランドセルのある大手メーカーも集めた3000個の中古のランドセルを直し被災地に送った。


 私たちは被災地の子供たちに学用品を贈ることにした。子どもは国の礎。子供たちに笑顔を取り戻してもらうためにも共に助け合う精神「共助」を大切にして、塾だからこそできることをこれからも続けてゆきたい。


 私たちの所属する播磨民間教育ネットワークでも、遅まきながら支援プロジェクトを立ちあげ、東北の子供たちのために力を尽くしたいと考えている。