2009年07月10日

盲目のシンガーソングライター 立道聡子さん

 テレビの向こう側から澄んだ歌声が流れてきた。立道聡子さんが歌う「たからもの」だった。それは「歌手になる」という夢が光をさす瞬間だった。

     
     ガラスの向こうで
     花びらに落ちる滴に 目を細めながら
     新しい日の始まり  ぼんやりと感じていた
     
     流した涙や  つらすぎる記憶を流して欲しい
     鳴らないベル待ち続けていた
     時間を越えてめぐり合えた

           
     ずっと冷め切っていた気分に 
     やっと向かい合い 手を振った


     そばにいてくれる  ただそれだけでも
     満たされてく  気持ち覚えた
     動き始めている  二人の未来が
     同じものでありますように‥‥
   
 立道聡子さん27歳。この「たからもの」で念願のメジャーデビューを果たした全盲のママさん歌手である。立道さんは、母親が妊娠8ヶ月で早産したが、未熟児網膜症となり、生まれて以来光を全く失ってしまった。
 

 彼女は3歳でピアノ、14歳で作曲をはじめ、今では300曲もの作品があるという。この「たからもの」も高校時代に作曲したものの一つだった。これはかけがえのないものを得た喜びや感動をあらわした作品で、30分ぐらいで完成したと言う。みずみずしい歌声と温かみのあるメロデイが心にしみわたる。


 彼女が通った福岡盲学校の英語の山部文江先生に「将来歌手になりたい」と相談したところ、「14歳のあなたがそう思うなら、信じた道を歩いてみたら」と即座に答えてくれた。この言葉が後押しとなって歌手としてのデビューが叶った。 「夢って形になるんですね」と言う彼女。山部先生の言葉があったからこそ頑張ってこれた。変わらず夢を持ち続けてきた。そして、夢を実現させた。


 テレビでは、山部先生との感動的な再会シーンが写し出されていた。そして、ピアノを演奏しながら先生の前で歌う姿はこれ以上ない喜びにあふれており、彼女にとってこれ以上ない「たからもの」だった。
 彼女は壮絶な人生を歩んできた。幼少期から全盲であることへのいじめ。全盲の夫と出会いそして結婚。生まれる子どもをめぐっての父母との対立。はじめての育児生活。


 すごいシーンを見た。全盲であるはずの彼女が、全くそれと感じさせない見事なまでの包丁さばきでキャベツを刻んでいる。料理をしている。彼女によれば、自分が目が見えないことに不自由さを感じたことはないという。なぜなら、見えたことがないからだそうだ。


 傍らにはいつも3歳になった勇斗君がいた。外出する時は、勇斗君が全盲の両親と手をつなぎ、両親の目となっている。「階段だよ」と言う勇斗君。杖を持ちそれに従う両親。なんとも微笑ましい光景だ。


 「自分以外の人に曲を提供したい。音楽を介して多くの人と触れ合い続けたいから」そんな彼女に心から声援を送りたい。
「たからもの」って、生きているとだんだん増えていったり、反対に忘れてしまったりするものであると思うので、この歌を聴いてくれた人々が、それぞれに「たからもの」をもう一度見つめなおすきっかけになればいいと思います。最初のコンサートで彼女はこう結んでいる。

 「できないのは、やらないだけ」「あきらめないで、夢は必ず叶うから」彼女から強烈なメッセージをいただいた。

 
 これを書いている時、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで盲目の辻井伸行さんが優勝したという朗報が飛び込んできた。

 このような方々に比べ、我々健常者は一体何をしているんだろうとつくづく考えさせられた。

過去のエントリー