できる勉強より「わかる勉強」を!スーバー個別のエクシード!
2012年04月05日

力強い宣誓と味気ない決勝戦

今年のセンバツ大会は、石巻工業の主将の力強く、それでいて温みのあった歴史に残る選手宣誓で始まった。


宣誓
東日本震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災された方々の中で、苦しくて心の整理のつかない方、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみに暮れている方々がたくさんいます。

人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし、日本が一つになり、この困難を乗り越えられることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています。

だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔見せましょう日本の底力、絆を。われわれ高校球児にできること。それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々プレーすることを誓います。


 この言葉通り、石巻工業高校は九州大会の優勝チーム神村学園相手に一時は4点の差をひっくり返す底力を見せた。試合には負けたものの、センバツに選ばれるに値する見事な戦いぶりだった。
「打てたのは、何か見えない力が、後押ししてくれたおかげです」逆転打を打った3番の阿部君は涙ながらにインタビューに答えた。


「子どもたちは一度ボロボロになり、そこから立ち上がろうとしている石巻を見て毎日過ごしている。実力は32校中32番目かもしれませんが、何か特別な力があるはずです」と松本監督。


「あきらめない町・石巻」「その力に俺たちはなる!」アルプススタンドの横断幕の言葉をそのまま地でいった石巻工業高校野球部だった。


 しかし、決勝戦は少々白けてしまった。青森の光星学院のベンチ入りのメンバーの18人中14人までもが大阪はじめ県外の選手で占められ、東北出身者はわずか4名だけであった。また、大阪の桐蔭高校も、県外からのいわゆる“野球留学生”で組まれたチームだ。おらが街の〜高校といった郷土色などまるでない。寄せ集められたエリート軍団のチームの対戦にすぎなかった。


 これに対し、兵庫の洲本高校は、県立高校であり、全員が淡路島出身、文字通り「島の代表」だ。かつてはさわやかイレブンと言われた徳島の池田高校、尾藤監督に率いられた和歌山の箕島高校。これらはすべて公立高校である。池田高校は部員わずか11人でも準優勝した。今では不可能に近いことだ。


 高野連はもっと規制をすべきだ。甲子園で優勝することは究極の目標であることには間違いないが、勝つことに執着したセミプロ化した選手の試合ほどつまらないものはない。
高校野球はもう高校野球でなくなっている。野球留学生は、大阪・兵庫・神奈川などの中学校の野球熱の盛んなところの選手で、地元の強豪校に入れなかった選手や、高校に行っても地元ではベンチ入りさえできない選手が甲子園に出場するために野球留学することが多い。あのダルビッシュにしても楽天の田中投手にしても然りである。


 あの石巻工業のような純粋なホンモノの高校野球を見たい。それが私の願いである。

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2012年03月23日

ある「職業訓練生」からの手紙

細井先生へ
  数々の試練を乗り越え、昔ただならぬ苦労をし、今の先生があり、これからも元気でお変わりなく頑 張っていただきたく思います。
  どんな時にも弱音をはかず、いつも寛大な心。私にとって見習うことがまだまだたくさんあります。

 
 この半年間、本当に言葉にできないほど勉強させて頂き、心より感謝しております。また、気配り、心 配り、決してえらそぶらない謙虚さ、繊細さ。私みたいな者に対しても優しく接していただき本当にあり がとうございました。
  
 私にとってこの間の経験は何物にも代えがたいものでした。先生からいただいたエネルギーを糧にし てがんばります。本当にありがとうございました。
 汚い字で申し訳ないです。
  
 今日は「基金訓練」の修了式。前日、元調理師だったNさんが、おぞおぞと差し出した手紙(彼に言わせれば感謝状)には不器用だが心のこもった言葉が並べられていた。


 私どもの教室では、未就職者に再就職できるよう厚生労働省の認可を受けた職業訓練を1年半実施してきた。今回は平均年齢がかなり高い人たちが集まった。ほとんどの人が家庭を構えており、それだけに悲壮な決意で今まで触れたことのないパソコンや簿記などを学び、就職に必要な技術を身につけようとしていた。訓練6カ月を終えて、就職の決まった人が何人かおり、うれしい限りだ。
 

 私の担当は「業界特化分野」。業界・業種を知ってこその就活である。業界の動向とタイムリーな話題をとりあげ授業を進めてきた。
 

 2008年アメリカのリーマンショックに始まって、長引く不況。「就職氷河期の再来」とまで言われ、出口がなかなか見つからない。でもその先には、必ず積極採用の波がやってくる。それを信じて自分なりのキャリアデザインを描き、自分のスキルを磨いておけば、景気が上げ潮に向かうと盛り返すチャンスは生まれる。
 

 もう一つの感謝状には、
 先生の迫力ある授業をいつも楽しみにしていました。もうすぐ修了式を迎えますが、少しさみしい気がします。よい先生方と仲間との思い出を大切にして、次の仕事頑張っていきたいと思います。
 64歳の方からの手紙である。
 その中には「先生の奥さんをさがしたいと思います」とも書かれていた。この言葉には、若い人にない、温かい思いやりの心がこめられていた。

2012年02月13日

講師の受験生への応援メッセージ

神戸の親交ある塾の塾長さんが、昨年末のわが塾の講師研修会にオブザーバーとして参加された。その研修会を見て絶賛された。
 

わが塾の研修会では「講師が講師を評価する」ということを行うのが恒例となっている。それによって間違った思い込みを正し、講師という仕事を再認識させるためでもある。
しかし、悪気あっての講師評価ではない。「良いところ」「悪いところ」を互いに指摘しあうことで、講師としての資質を高めようとしている。


 1年未満の新しい講師にも、2年以上の経験がある講師にもそれぞれに問題点はある。それを浮き彫りにして激論を交わす。他塾ではなかなかできないことではないだろうか。
 
 自己評価では10点満点で8点、だが他の講師からの4点と酷評される講師もいる。しかし、概して講師のみんなは謙虚。ほとんどの講師が「6点」以下の自己評価を下す。

 しかし、「そんなことはない、君は8点だ」と高評価を得る講師もいる。そして、どこがいいのか、どこが悪いのか自分の思いをハッキリ相手に伝える。時には、「塾長は何点だと思いますか?」と振られることもあり、私も講師評価に参加する。


 わが塾の講師は男女問わず体育会系が多く、乗りがよく、仲もいい。これが「親しく接して厳しく指導する」という教室の雰囲気を作り出し、コミュニケーションの風通しもよくしている。講師個人の成長は組織の成長にもつながる。


 その講師たちが、高校受験を目前にして、受験生に応援メッセージを贈ってくれた。
    
    努力の”かけら”が”かたまり”となった今、君たちならできる!!     
    
    自分のしてきたことを信じて、ウイニングフィニッシュ!!
    
    一人じゃない!!講師みんながついている、がんばれ!!
    
    今までやってきた事に無駄なものはない。
                    自分の努力を信じ、解答用紙に全力をぶつけよう!     
   
    いよいよ成果を発揮する時。
                   緊張するかもしれないけど、緊張を思いっきり楽もう!
 

 こんなすばらしい言葉を贈れる。彼らの成長の証の一つでもある。
 
 塾生も塾に対し、
 
 私は友だちの話を聞いて興味を持ちエクシードに入りました。
エクシードに入ると塾長をはじめ、たくさんの先生がフレンドリーに接してくれたのですぐになじむことができました。

 分からないところや勉強のしかたなど気軽に先生に聞けて、詳しく教えてもらい、勉強以外でも楽しくしやべったりできて、エクシードにもっと早くから入っておくべきだったと思っています。

 塾に入った最初は、自分の目標としている高校に行けるのかとても不安でした。でも通常授業や夏期・冬期講習・土曜特訓などしていくうちに成績もすごく上がり、自信もできて、がんばっていこうと前向きになりました。
    絶対合格して、いい報告をしたいです。
    
    エクシードに入って本当によかったです。   

 という言葉を贈ってくれた。
   今年も受験生全員に第一志望合格を勝ちとらせるため全力を尽くしたい。
  
 前述の神戸の塾長さんだが、今月末、姫路のある塾の塾長さんとともに授業を見学に見える。私たちのネットワークの交流はますます深まるばかりである。

2012年01月11日

龍脈をおこし、昇り竜になろう!!

 あけましておめでとうございます。


 昨年は、ギリシャの経済破たんにはじまり、エジプトをはじめとするアラブの春、日本では3月の東日本大震災それに原発事故などまさに内憂外患の一年でした。


 今年は辰年。辰には「ふるう・ととのう」の意味があるとか。暦学的には、方位は南東、時間は午前7時〜9時、季節は3月だそうです。日当たりのよい南東、しかも早春の早い時刻、あらゆるものが奮い立つ季節、時期。大震災や原発の復興が進み、皆さんがそれぞれに「龍」に乗って上昇する年にしたいものです。


 「龍脈を起こし、昇り龍となろう!」これは、みなさんにお送りした年賀状に書いた文言です。龍は、風水のシンボルで、気の流れを「龍脈」と言います。龍は十二支でただ一つ想像上の動物ですが、「昇り龍」という言葉もあるようにぐんぐんと運気が上昇するのです。


 そう言えば私の尊敬する坂本龍馬も「龍」の文字がついています。塾生から坂本龍馬のリョウは「龍」か「竜」かという質問がありました。私には「竜」は、二本足で立ちゴジラのように火を噴く西洋風イメージがあり、「龍」には蛇のように雲の間をニョロニョロと動き回る中国風イメージがあります。凧の文字も「竜」でなく「龍」の文字が見られます。


 坂本龍馬の話に戻りますが、同時代の彼の日記や手紙などを見ると「良馬」と当て字にされていることもあり、龍馬自身も手紙の最後に「りよふ」とサインしていることもあるため、読みはりょうまであることは間違いなさそうです。


 「竜」は「龍」の古体字であることはハッキリしているのですが、龍馬自身は「竜」を使ったことはありません。「竜」は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で使われており、「竜」が常用漢字になったことなどから慣用化されているというわけです。
 ともあれ、陽気が動き草木が成長し、地面を覆う様は「辰」。みなさんがニコニコ笑顔で、元気よく幸せいっぱいになるように望んでいます。 


 最後に、もう一度「龍脈を起こし、昇り龍になろう!!」

2011年12月26日

東北大震災のつめ跡

 11月に行われた「日本教育者セミナー」で仙台を訪れる機会があった。この時期に被災地東北でセミナーを開くとは不謹慎ではないかとの声もあったが、この時期だからこそ仙台に行こうという理事長の岡村寛三郎先生の強い意向もあり、仙台進学プラザでセミナーを開催させていただくことになった。


 セミナーで第一講座では仙台進学プラザの阿部孝治先生の「震災から学んだこと」の講演を拝聴した。講演で阿部先生は、今回の震災で学んだことを3つ挙げられた。


 一つは「学習塾の強さ」。仙台進学プラザでは、被災した3月11日からわずか12日後の3月22日には基幹教室だけ開けたという。出席率は7割もあったというから驚きだ。
1か月後の4月12日に授業を再開した。生徒は震災からずっと学校に行かないだけに、いや行けないだけに余計「勉強したい」という気持ちが高まってきたという。成績のいい子はもちろん、悪い子でさえも。


 私は資料としていただいた「東日本大震災写真集」をはじめに見ただけに、あの津波に打ちのめされ,壁にヒビが入り、メチャメチャになった教室、車やがれきがうず高く積まれた街角に1か月後塾が再開されるなんて想像さえできなかった。しかし、子どもたちは塾の再開を心待ちしていたというのだ。


 二つ目は「売上げが全くなくなる」ということ。仙台進学プラザでは、1ヵ月およそ1億円の売り上げがある。それがある期間すべてなくなる。経営者として、借り入れをしてでも最低3か月から半年分の現金を持っておくべきだとの指摘は現実味を帯びていた。


 三つ目は「社員の生活支援」である。地震当初、社員とは全く連絡が取れず、動静がつかめなかった。しかし、メールは辛うじて通じたので、少しずつ連絡が取れはじめた。しかし問題は社員の生活保障。地震で収入は閉ざされたのに、社員には何とか生活ができるようにさせなければならない。当然多額の出費が強いられる。


 仙台進学プラザでは、米にして600kg、毎日300〜400個もの炊き出しのおにぎりを配った。何かかが起きても、何もできない人が7割もいた。これには若者が多く、炊き出しの列に並んでも「ありがとう」の言葉さえも発せずに去ったという。

 
 成績が良くて、頭のいい子は動きが速く、すぐに県外に退出。特に福島県市職員の子供は、山形に逃げた。ここにも二極化がはっきりしていた。

 この中で特に驚かされたことは、仙台進学プラザは、塾生の保護者に10万円の支援金を送ったこと。これはなかなかできることではない。塾生が10.000万人いれば1億円の出費になる。弱小塾の我々からすれば到底考えられることではない。だからこそ仙台進学プラザなんだと思う。


阿部先生の生々しい言葉に、思わず息をのみ込んで返す言葉が見つからなかった。


 セミナーの最終日、浜沿いの被災地を見て回った。大震災から8カ月になるというのに、がれきはまだまだ取り除かれていない。海岸沿いの道路を通ると、悲惨な光景の連続。もとあったであろう田んぼの中に多くの車が残されたまま。被災した家屋が何の手入れもなくそのまま残されている。道路の左右のもと家屋があったであろう空き地には、漁船がひっくり返っていた。大型の漁船もある。それも無数に。いったい国は何をしているんだろう。


 最後に漁村を訪れた。日和山と呼ばれる小高い丘にあがって見渡せば、すべての家屋は無くなっており、きれいな更地と化していた。そこに平日だというのに視察という名の観光団のバスが5台もやって来た。観光客は神妙な顔をしているわりには、デジカメで写真を撮りまくっている。いったい何を考えているんだろう。


 私は、被災地に向かって手を合わせ、更地の中から見つけた茶碗の一片をジャケットのポケットにそっとしまいこんだ。これを持ち帰り被災された方々の供養しよう。そう思った。

2011年12月02日

独創的な詩が全国一に

 先日神戸新聞を読んでいた時、若者らしく、みずみずしい詩が目に留まったので紹介したい。
             
                「飴(あめ)」
       
        舌の上で、過ぎた時が流れ始める
        縁日の夜祖母がくれた小遣い
        半券を買う五十円玉の穴から
        ぼくは夢の中を覗いた
        流れ星をつかまえた
     
        僕の手に握ったこんぺいとう
        一つ食べれば1gの宇宙が宿る
        二つ食べれば空も飛べるさ
        折り重なる光の層を身にまとい
        どんぐりあめの惑星へ
        
        母がくれた飴玉は
        「なんでもひとりでできる」の魔法
        くじけそうな時に口に入れれば
        甘い魔力が呼び覚ます、僕の中の七色の闘志
        涙を流して口に入れても
        涙の塩気を海に還すよ
            
        どんな時も飴をなめれば
        タイムマシンが口に広がる
        笑顔の僕が彼方に見える

 高校2年生の西尾光暉君作の詩である。彼は、現代詩の全国コンクールで最高の文部科学大臣賞を受賞した。

まるで宮沢賢治を思わせるような斬新で、独創的な詩風だ。

西尾君は脳性小児まひの障害があり、今も車椅子での生活を強いられている。小学校5年の時、足の手術で入院し、詩はこの時なんとなく日記を書くような気楽な気分で書いたという。
 

 ある日、病院に勉強を教えに来てくれた女教師が詩に気付いた。西尾君は恥ずかしいさのあまり手で顔を覆ったが、その先生が詩を読んで泣いた
 この時、自分の紡いだ言葉で人を感動させることができることを知った。以後、毎日詩を書くようになった。
 

 私にも飴の思い出はある。昔(昭和20年代)は1円で2つの大きな飴玉を買えた。貧しい我が家では飴を買ってもらうことなどなかなかなかった。たまたま祖母から5円をもらうことがあるとすぐに駄菓子屋に走った。口の中で飴玉を転がしながら駄菓子屋から出てくる。それが束の間の幸せだった。
 

 その飴玉を50円を持って買う西尾君。時代は変わったものだ。しかし、一つの飴玉から受ける喜びや幸せは不変のものだ。西尾君は「どんな子供でも、飴玉をなめれば泣き止むでしょう。あの魔法のような力を言葉で表現したかった」と言う。
 

 この表現の中にも彼の計り知れない感受性を見たような気がする。                    
                            (2011年11月22日付神戸新聞から)
  

2011年11月09日

落合解任に思う

 中日ドラゴンズの落合監督の退任が決まった。退任というより解任といったほうがいいのかもしれない。監督としてドラゴンズ球団史上初の2連覇を達成し、8年間はすべてAクラスであったのにもかかわらずだ。それも、シーズン終盤ヤクルトと優勝を争っているさなかの解任発表だった。
  

彼は実績を残した名監督と言っていい。名監督には名監督にふさわしい解任劇があり、落合監督にもプライドがある。それをズタズタに切り裂いた球団は冷酷としか言いようがない。


球団にも言い分はあるだろう。4億円と言われる監督の高年棒。「勝つことが最大のファンサービス」だとし、ファン感謝デーにも出ることなく、フアンサービスにはあまり乗り気でなかった。

勝つだけではフアンはついてこなかった。観客動員数は08年をピークに約30万人も減ってきた。


名古屋という土地柄は特殊だ。地元出身の選手や生え抜きの選手を歓迎するファン気質がある。そんな中で落合監督は、コーチングスタッフにも地元出身者でなく、勝てるチーム造りのために実力ある最良のスタッフを選んだ。これも球団は快く思っていなかった。しかし、落合イズムはコーチングスタッフや選手間に確実に浸透し、しぶとく得点を重ね、1点を守る野球で勝ち進んできた。


また、落合再生工場と言われるように、球団に見捨てられ、切り捨てられた選手を多く獲得した。「おまえら、くやしいだろう。くやしかったら、くやしさをぶつけろ」この言葉でよみがえった選手は多くいた。元巨人のリリーフエース河原とバンドの名人川合、元オリックスの剛球投手平井、彼らはピークをとっくにすぎていたいわばロートル。しかし、彼らの経験と意地に期待したのだ。彼らは見事よみがえり、河原にいたっては、優勝を決める巨人戦にあえて投げさせた。


チームの補強に高額を投入する巨人・阪神などと違って、現有勢力でその持つ能力を最大限に引き出す見事なまでの采配だった。監督の仕事はチームを勝ちに導くこと。一点を守り抜く野球は、スリルのないつまらない試合だと周りから言われようが、選手時代から“オレ流”を貫き、指導者になってもわが道を貫いた。


象徴的なシーンがあった。07年の日本シリーズ、8回まで完全試合を続けていた山井投手を代え、抑えのリリフエース岩瀬に交代させた。これも「記録よりチームの勝利」を貫いた非常ともいえる彼の監督観の最たるシーンだった。


球団は「新しい風を入れたい」と起用した次期監督は高木守道氏。生え抜きバリバリの元中日選手だ。しかし、年齢は70歳。これで新しい風と言えるのであろうか。落合監督が去り、コーチングスタッフも総入れ替え、これで球団が言う「強いチームの基盤はできた」といえるだろうか。


落合監督あっての中日ドラゴンズの戦績ではないだろうか。チーム打率の最下位の中日ドラゴンズを優勝に導く監督は落合以外にない。残念ながらチームの凋落ぶりは容易に想像できる。巨人ファンの私にとってはうれしいことではあるが、一抹の寂しさを感じる。

球団はファンは落合監督が去ってはじめて気づくだろう。かれがどれだけすばらしい監督であったかを。

2011年10月03日

実りある授業研修

 エクシードでは、学生の夏休み期間徹底して講師の授業研修を行った。研修対象は主に講師経験半年から2年までの講師。
 それはこの頃“慣れ”からくる惰性が生じてしまうからだ。慣れに安住すると、今の自分を維持することはできるが、進歩は得られない。進歩は絶えず変化の中だけに見いだせるものだからである。
 
 授業研修した講師には、以下の内容でリポートを書かせている。
    @ 研修内容
    A研修で感じたこと
    B次回から自分の授業で留意すべきこと
    Cエクシードの講師になって
 このリポートが実によく書けている。先輩の授業見て、その良さをきちんと把握できているし、先輩と比較して、自分に不足している点もよく掴んでいる。
 

 私は自分の甘さを思い知らされました。私は生徒ひとり一人に合った授業をしているつもりでしたが、“つもり”でいるだけで、自分にまだまだ甘いと思いました。今の自分に妥協せず、自分に厳しく、私にしかできない授業をして生徒に求められる講師になりたいと思います。


 エクシードの講師になって1年。この間、僕はコミュニケーション能力を磨くことができたように思います。生徒に対してただ機械的に教えるのでなく、一緒に取り組んでいくことによって、人と人とのつながりについて考えることができるようになりました。
 2年目には、生徒一人一人に工夫した授業ができるように、何がベストなのかを考えて実行できるようにしたいと思います。


 今改めて研修を終えてみると、私は「授業」が「作業」化してしまってつまらない講師になっているのではないかと感じました。研修で得られたことを元に活気ある授業づくりを目指しつつ、今後も先輩方のすばらしい点を吸収し、講師になった当初の新鮮な気持ちを忘れずに生徒とともに成長したいです。
 

 私は少し前までエクシードの生徒の一人で、その頃から活気あふれるエクシードの雰囲気が居心地よく好きでした。塾長をはじめ多くの講師の先生方に悩んだときは励ましていただいいたおかげで自習に来るのが楽しかったです。大学生になって講師という立場になりましたが、次は私が生徒の心を励ましてあげられるような講師になりたいと思います。
 そのためには、勉強に関する知識を身につけることはもちろん、一人の人間として勉強以外の様々な知識・視野・考え方を身につけられるよう何事にも積極的に取り組んでいきたいです。

 
 研修の目的はエクシードという”場”の人材育成にある。つまり講師としての職務遂行能力の進展を狙いとしている。しかし、講師の中に眠っている潜在能力の発掘も大事だ。
ただ単に講師をするのではなく、講師としてのスキルと能力を高め、講師として人間的な資質を磨き、生徒のため力をつくすことは大きな社会貢献であり、自分の成長ともなる。
 

 生徒のために自分を磨き強い人間になれ。彼らにそうエールを送りたい