2023年11月27日

大谷二刀流MVP

大谷翔平選手が二度目のMVPに輝いた。

でも、この一年の活躍は、特別なことをしているつもりはない。自分がやりたいことを続けるために、睡眠を長く取り、節制してコンディションを整え、できることの全てをつぎ込んで試合に臨むのは当たり前のこと。それを続けてきた先にあったのがMVPという結果であり、これもまた一つの通過点にすぎない。と言う。


また、「投打の二つをやることは誰もやったことがないことを選んだのではなく、やれることをやるうちに結果的にそうなっている。やらなければならないことが多くなる分、伸びたり、できるようになることが増えたりするのはすごく楽しい」ということだ。

 何か将棋の藤井聡太7冠を思わせるものがある。両者に共通することは「今までは『無理だよ』と言われていたようなことも、『無理だと思われることをもうやり遂げた人間がいるんだ』と理解されるようになってきたから不思議だ。

右肘手術の影響で来季は打者に専念する予定。「今までよりも強くなって戻ってこられるように、ベストを尽くしたい」。11月には、野球の楽しさを「おすそ分け」するかのように、全国の小学校にグラブを送る企画も明らかにした。

大谷選手がさまざまな形でまいてきた「可能性の種」。いつかどこかで色とりどりの花を咲かせる日が、きっと来ると思う。

2023年11月06日

「今を生きる」

 「而今」ある書物から目にした言葉です。
   ふつうは「じこん」と読みます。
 而今はもともと禅語であり、曹洞宗の開祖 道元の唱えた言葉だと言われています。
 「今という瞬間に成すべき事をなす。」
 「過去にも囚われず未来にも 囚われず、今をただ精一杯生きる」
 という意味があります。

 時は刻々とすぎていきます。
 今という時間がとどまることはありません。
 だからこそ、その一瞬一瞬を大切に生きていく。
 それが「而今」のもつ意味です。

 「今を生きる」
 
 この積み重ねこそが、充実した人生につながるのはないでしょうか。

 
 道元の「たった今だ!今しかない!他に時はないぞ」という声が耳朶に響きます。

2023年10月12日

99%の負け予想からの大逆転勝利

藤井聡太7冠は、永瀬拓矢王座に挑戦し、シリーズ対戦成績を2勝1敗とし第4局を迎えた。この勝負終盤の大逆転劇で勝利し、王座を奪取し全8冠制覇を成し遂げた。

 対戦相手の永瀬拓矢王座九段は、藤井7冠の唯一の練習パートナーで、月に3回ほど盤を挟んでいるという。また若手強豪らとほとんど休みなく研究会をこなし、対局前も練習将棋を指す努力の塊の人だ。 
藤井対策を十分練り上げ防衛戦に臨み、その巧妙な指し回しに藤井7冠は苦しんだ。それでも、ずばぬけた読みで初めて見る局面にも対応し、最後のタイトルを奪取した。
 
 AIは一時永瀬99%勝利と予測したが、永瀬王座の次の一手で藤井7冠が99%勝利と逆転予想し、結果はその通りとなった。
 これは一手60秒以内という切羽詰まった状況にあったにせよ、永瀬元王座の「あの一手が」という無念の声が聞こえそうであった。
 勝負は下駄をはくまでわからないとはこのことか。
 

 彼はAIの申し子と言われている。AIで効率よく勉強したことにより、悪い手をほとんど指さない。以前のように数々の経験を積み、駆け引きや相手の弱みを突くような戦い方では勝てなくなった。棋風は旧来の特別な作戦駆け引きよりも、速くベストな差し手を探すといういたってシンプルだ。彼のこの強さは詰将棋で培われた指すべき手を速く正確に見つける突出した読みの力にある。
 

 それにしても永瀬拓矢元王座の将棋に向かう姿勢に心打たれるものがあった。年が一回りも離れている藤井さん自ら志願して互いの力を磨きあっているという。

「負けました」悔しさがにじみ出た一言が印象的だった。私は藤井聡太8冠の座を奪う一番手が永瀬拓矢元王座だと思う。負けてあっぱれとは彼のことだ。


 五冠を達成した時、藤井さんは、棋士としての現在地を富士登山に例えて

「森林限界の手前というか、まだまだ上の方には行けていない」と表現した。
 森林が途絶える五合目辺りとした自己評価は、今も変わらない。


升田幸三元名人は藤井さんのことを「たどり来て、いまだ山麓」といった。

天賦の才を持ち、偉大な先人の謙虚な精神も受け継ぐ若き王者は、この先どこまで高く登っていくのだろうか。


2023年09月29日

教え子との出会い

子どもたちの教えに関わって40年余り、この間多くの教え子との出会いがあった。その中でも最近特に感動的な出会いがあった。
 私が蜂窩織炎(ほうかしきえん)という耳にしたことがないような病気に罹り、両足や右手に激痛が走り救急搬送された。


 この時、私の看病に関わった看護師に教え子が2人もいた。は「ひよっとして細井先生ですか」から始まり、昔の話を含め会話は弾んだ。「この人私の先生だったの」同室の病人や同僚の看護師にも伝えたことにより、沈んでいた病室の雰囲気も一気に盛り上がった。その教え子は明るく元気で私は「君は素晴らしい天職に就けたね」と言ったら、嬉しそうにはにかんでいた笑顔が印象的だった。
 

ある中華料理店に入っても、「先生お久しぶりです」と声を掛けをしてくれ、また、スポーツジムでもインストラクターとして生き生きとして働いている教え子もいた。「先生、今日先生と生徒は逆転やね」と笑いながら指導してくれる姿にうれしいものがあった。
 そういえば、駅の反対側のホームにいたにもかかわらず、私の姿を見つけると大きな声で「先生」と言って手を振り、私もそれに応えたこともある。


これだけではなく、教え子との出会いは枚挙にいとまがない。今、私の塾にも教え子の子供たちがたくさん来てくれている。


こうして人生を振り返った時、人生は何だったんだろう。何のために生きてきたんだろう。考えることしきりである。しかし、一つ言えることは自分に適したいい職業に就けてよかったということだ。


よく生徒に「何のために勉強するんですか?」と聞かれることがある。その時私は「勉強すればするほど、自分が何の職に就くのが適しているか。自分は何になりたいのかがわかるようになる。人生はそれを見つける旅だよ。」とこたえるようにしている。
 
 今、この年になって天職に巡り合えた自分の生きざまに誇りを持ちたいと思っている。

2022年12月14日

みんなを突き動かせる言葉 

W杯のドイツ戦を前に、日本代表の主将吉田麻也選手は、ロッカールームで叫んだ。

「ドイツは俺らに負けるなんて、1ミリも思ってないぞ。歴史変えてきたやつは、絶対勇気持って、前進したやつだけだからな。今日、俺たちが歴史を変えよう」

彼は、歴史を変えるって、どういう人がやってきたんだっけ。坂本龍馬とか考えて。いろいろ考えた時に、やっぱり勇気を持って、何かにチャレンジした人なんじゃないかなって。この言葉を発したということだ。
歴史的勝利とともに、記憶に残る吉田選手のの名スピーチだった。


この大会では、日本代表、オーストラリア代表、韓国がグループステージを突破。特に日本はスペイン代表、ドイツ代表と強敵が同居した組で首位通過を果たすなど、大きなサプライズを巻き起こした。
これは日本チームのほとんどの選手は、ヨーロッパのクラブチームに所属しており、伝統的な強豪チームに対しても、それほど恐れることはなくなったことに他ならない。毎日、一流選手と練習し、毎週、試合をしているため、アジア人選手は自信を持ち、能力を発揮できるようになった。あのブンデスリーグでキャプテン務めるようにもなった。これは技術的なこと以外に人間性も考慮されたものだろう。


また、日本チームを率いた森安監督は「最高の負け方をした」。
PKで敗戦が決まったあと、スタンドにいるサポーターに深々と頭を下げる姿勢は侍を思わせ印象的だった。
彼が言う新しい景色(ベスト8進出)はならなかったが、それ以上に私たちの網膜に強烈に焼きついた活躍ぶりだった。


それにしてもサポーターが負けたクロアチア戦の後でも、スタンドの掃除をする姿。選手たちがロッカールームを使用した後、まるで使用する前のようにきれいに掃除し、感謝の気持ちをこめ、折鶴を添える。なんと日本人として誇らしいことか。
4年後は優勝目指し、「化け物になって」ナショナルチームに戻ってこい。健闘した選手はじめスタッフにそう伝えたい。

2022年11月16日

このきち「はじめのいっぽ」

素晴らしい歌を見つけました。
 みなさん!ユーチュ-ブなどで一度聞いてください。
 メロデイは覚えやすく、歌詞グッとくるものがあり、勇気づけられますよ。


     このきち 「はじめのいっぽ」

  
  さあ 堂々と胸を張って行こう
  あの憧れ目指して
  Step up, step up
  君と 君と 夢を見よう

  
  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  足を止めるのも 走り出すのも
  自分次第だろ
  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  焦らなくっていい 少しずつでいい
  顔を上げて行こう

. 
  今この1分1秒も
   君と夢を見たい
  思い立ったその瞬間がスタート

  
  いつも通り目覚ましが鳴る
  また迎える月曜の朝
  くすんだ鏡に映る
  ちょっとだけくたびれた顔
  一晩中悩んだことも
  「好きこそものの上手なれ」と
  ぐっと歯を食いしばって
  今日も 自分と戦う

  
  全然上手くいかなくって
  七転八倒繰り返して
  もう失敗なんて嫌だって
  心弱ってんの
  気にせず ドンマイドンマイ
  Be all right
  また虎視眈々と努力して
  さぁなりたい自分を描いて
  走り出そうK

 
  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  足を止めるのも 走り出すのも
  自分次第だろ
  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  焦らなくっていい 少しずつでいい
  顔を上げて行こう

  
  今この1分1秒も
  君と 夢を見たい
  思い立ったその瞬間がスタート


  机の上からはみ出した夢
  葛藤しながらも膨らみ
  教科書だけじゃ学べない
  「成功」と「失敗」の日々
  輝いて見えるあの人も
  誰にも見せない努力がある
  そっと 深呼吸をして
  今日も 今を生きていく


  青春なんて儚くて
  半信半疑 不安になって
  散々悔し涙流した 夜もあるけど
  それでも Don't cry, don't cry
  Be all right
  ほら初志貫徹忘れないで
  さぁなりたい自分を描いて
  走り出そう


  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  足を止めるのも 走り出すのも
  自分次第だろ
  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  焦らなくっていい 少しずつでいい
  顔を上げて行こう


  あぁ, 時に傷ついて
  自信をなくして俯いてしまっても
  「青春」の二文字で
  終わらせたくない未来がある

  さぁ 堂々と胸を張って行こう
  あの憧れ目指して
  Step up, step up
  君と 君と 夢を見よう


  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  足を止めるのも 走り出すのも
  自分次第だろ
  夢に向かって一歩一歩
  誰もが人生の主人公
  焦らなくっていい 少しずつでいい
  顔を上げて行こう


  今この1分1秒も
  君と 夢を見たい
  思い立ったその瞬間がスタート

2022年09月29日

国葬に思う

 野田佳彦元首相が「葬儀に出ないのは私の人生観に外れる」と述べて国葬に出席された。私も味わった重圧と孤独を最も長く経験された方だ」としたうえで、「長い間お疲れさまでした、と花を手向けてお別れしたい」とも語った。
政府と意見は違うが、今は静かに花を手向けようという、真っ当なことを言う人がいたのだと思うとホットした。


安倍氏との党首討論を思い出す。当時首相だった野田氏が「16日に解散をします。やりましょう」と宣言した。自民党総裁に返り咲いたばかりの安倍氏が驚きの様子で、「約束ですね、よろしいんですね」と繰り返し確認した。歴史に残る名対決だった。

菅前首相の追悼の辞
菅前総理訥々と、なんの飾り気も、誇張もなく、真っ直ぐな思いで語られ、盟友だからこそわかること、盟友だからこそ見てきた素顔がしみじみと伝わり、どんな美辞麗句よりも心に響く追悼の辞だった。
終わりには、期せずして拍手がわき上がり、普通なら有り得ないが、違和感より感銘ある場面だった。


安倍元首相は、
課題が山積した日本で国政と外交を8年勤めた。これはどれほどのことか。周りすべてにいい顔をしていては総理など務まるはずなどない。そこには絶対に曲げない信念とビジョンが必要になる。まさに不世出の政治家だったと言える。


議員会館の机の上に残された安倍氏の読みかけ本があり、そこには 
山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んだ詠んだ歌だった。    
この歌は、菅元首相の今の心境を表したものだという。

かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 
 粛々と国葬が進む中にも汚い言葉で罵るデモも本来の日本人の姿では無い。
 
 同じ目的を持った朋友の死を貶めることにばかりに心血を注ぐようなら、もはや政治家ではない。国のために最後まで働いた方々の死を素直に悼むことができる人が一人でも多くなれば、日本の未来もより明るくなるのにと思う。
安倍さんの目指した「美しい日本」はいつ来るのだろうか。

     『日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ』

 安倍さんの言葉が聞こえる。

2022年09月14日

安部元首相の「国葬」論議に思う

安部元首相の「国葬」をめぐって、マスコミが連日国民の50%以上が反対だとか、野党の人々が国会の承認がないのに、内閣で決めるのはおかしい。とかさかんに息巻いている。

私は内閣がいきなり「国葬」を行うと決定したのには異論がないわけではない。

しかし、国会の個々の議員が自分宛の招待状の写真をアップして欠席を表明するのは、如何かと思う。
ある評論家は『はしたなく見えるのでやめた方がいいと思いますよ』と言っていたが私はその通りだと思う。


故人の弔いにこんな風にケチをつける。しかも国会議員が。「人としてどうなんだろうか」と思ってしまう。そして、私は人の死という尊厳に土足で踏み込んでいくのを見るように感じる。


弔意を示したくないならば、示さなければいいい。しかし「弔意を示したくない」「国葬には欠席する」とわざわざ言う必要があるだろうか。それこそはしたない行為ではないだろうか。 黙っているというのが最低限の礼儀だろう。このような礼儀すらわきまえない人ががいるのは恥ずかしい限りだ。


安部元首相には、いろいろな批判はあるが、私はこの国を代表する歴史の残る偉大な政治家者だったと思っている。在任中あれだけ世界中を飛び回り、各国の首脳との親交を深め、日本の存在感を示した首相はかっていなかっただろう。


批判する野党の人々に問うてみたい。「あなたがたは安部元首相のような政治の足跡を残してきたのか」と。

2022年09月13日

仙台育英高校悲願の初優勝

 今年の全国高校野球は、仙台育英高校が東北勢として初めて全国制覇を果たし感動のうちに幕を終えた。マスコミは優勝旗が“白河の関”を越えたと、ステレオタイプでいうが、近年この高校野球、全国にスカウト網をはり巡らしているいる私立高校によるスカウト合戦が繰り広げられ、選手集めが公然と行われている。昔に言う『おらが故郷の〇〇高校』とはほど遠い。
 
 例えば、決勝戦に進んだ下関国際高校の出身選手の内訳をみると、兵庫5名・広島4名・福岡4名・大阪3名・和歌山県1名と山口県出身の選手はわずか1名と少ない。
優勝した仙台育英高校の内訳をみても、山形3名・岩手2名・青森1名・大阪1名・広島1名と、宮城出身の選手は9名。でもほとんどの生徒は付属中学と、東北地方の出身選手で占められている。何かチーム作りの根幹が、「中学校の選手に対して、情報収集できるか」に偏っている。


 また、私立高校には寮があり、専用球場や雨天練習場までも完備されている。これに対し、公立高校はグランドは他のクラブと共用。練習時間の制限もある。そんな公立高校が優秀な選手が集められ、プロのような設備のある私立高校に勝てるはずがない。


それに近年、投手の球数制限のあって、かっての太田幸司・桑田真澄などのようにエース投手一人がチームを引っ張っていくことは不可能だ。
今の高校野球は、勝つためには圧倒的な投手陣を形成しなければならない。仙台育英は部員82人中19人が投手だというのもスゴイ。また、投手陣だけでなく、いかにレギュラー選手と控えの選手の差を少なくするかということが戦力の充実の近道ということになる。
 

「見つける」「育てる」「生かす」私はこれが人材育成の要素だと考えていた。しかし「見つける」に重きがさかれ、並の選手が、指導者に叱咤・激励されながら努力を積み重ね、学習していきながら成長していく。それが高校野球の魅力ではないだろうか。


 私立と公立の差はますます開くいっぽうだ。こういったことを規制していかないと、高校野球の純粋さが失われ、一部の強豪校と言われる高校に選手が集まり、高校野球はもう高校野球でなくなる。そんな気がするのは私だけだろうか。かっての池田高校・佐賀北高校などの公立高校の暴れぶりはもう甲子園では見られないのだろうか。

2022年07月14日

深刻な教員不足

教育は国家の根幹と言うけれど、日本では教員不足が深刻だ。
兵庫県内の公立学校では教員が114人足りず、国語が自習になっていることが報じられた。
また、
「学校だよりで教員募集されていた」
「メールやチラシで教員の募集があった」
「コンビニに教員募集のポスターが貼られていた」
など以前では考えられない事態が生じている。


今や学校の教員はブラックの代表的なものになってしまった。

教員は教科指導・クラス指導・部活動指導・生徒指導などの過酷な労働に加え、親や近隣からのクレーム対応などに追われ、体力的にも精神的にも疲れきっており、魅力ある職業ではなくなっている。
教員不足のために、非常勤の講師がクラス担任になることもあるまた、副校長がクラス担任を兼ねているところある。このほか 産休育休の他に、心を病んだり体を悪くしたりして休む教員もたくさんいるので、教員不足が常態化しているという。


私たちの時代は、オイルショックもあって教員採用試験は高倍率の超難関だった。また、採用試験に合格しても、学校側から声をかけられなければ合格は無効となり、来年再受験しなければばならないといういうこともあった。テレビ番組の影響もあって、教職に憧れを抱き、生徒の中に身を投じ、喜びや悲しみをともに味わう。それが先生たった。そしてそれにやりがいを感じていた。


かって小泉首相は国会で「米百票」の例を挙げて、教育の重要性を説いた。
明治初期、窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられたが、当時藩の要職にあった小林虎三郎は、藩の武士や住民に分けてしまったのでは数日でなくなってしまう米百俵を、将来の千俵、万俵として活かすため、学校の設立資金に使った。
その結果、設立された学校からはその後、人材が続々と輩出された。この精神は「米百俵の精神」と呼ばれ、教育への投資こそ国造りにとって最も重要な投資であるとの考え方を示したものである。


管子の一節に、 「一年の計は穀を樹(う)うるに如くはなし 十年の計は木を樹うるに如くはなし 終身の計は人を樹うるに如くはなし」というのがある。
これが教育は『国家百年の大計』であると言われる所以であるが、深刻な教員不足や教員の長時間労働が大きな問題となる中、このような事態を改善するには教員の待遇改善が差し迫った課題となっている。

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