2019年04月01日

『学校の「当たり前」をやめた』という本を読んで

先日図書館である本が目に留まりました。
『学校の「当たり前」をやめた』という本がそれです。そのとき学校の当たり前って何のことだと感じ、一気に読み終えました。
この本の著者工藤勇一氏は山形で教員を経験した後、現在は東京の中学校の校長に就任されています。


  工藤勇一氏氏は公立の中学校で、
 「服装や頭髪指導を行わない」
 「宿題を出さない」
 「中間・期末テストなどの定期テストの廃止」
 「担任の固定廃止」
 などの画期的な新しい教育方針を実践しています。


 生徒に自立させることこそ中学校の使命だとし、子どもたちに自分で決定し、自分の意志で行動する「自律力」を育成させようとする意図で学校運営にあたっているとのこと。
 そのため、学校行事などについても企画・実行などすべて生徒に任せている。しかもこれらのことを実行してから、生徒の生活態度・学力も向上し、生徒たちは生き生きとしていると言うのです。

  これは教育の理想と言えば、そうかもしれません。それを具現化しているわけですから、成功事例と言っていいのですが、この方式を全国の中学校に採用すれば、たまったものではありません。学校が荒れることは火を見るより明らかです。


 子供たちは集団生活を通じて、社会のあり方。社会の中で生きていく自分のあり方を学び、生長してゆくものです。集団の中でもまれ、生きていく人間力を養っていくのです。
それをいきなり未成熟 な子ども達に「自律力」の育成。それはありえない。
 

 教育とは文字通り、教え育むことです。学校は常識と良識を兼ね備えた組織の一員になるための学び舎です。
 

 生徒が自立した後、自律を求めるのはいい。しかしはじめから自律力を培うなんてありえない話だ。

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