2018年01月25日

ほほえましい光景

 毎朝8時ごろ、住まいのマンションの玄関近く、高校に登校する女生徒と母親の姿を見ることがある。二人はまるで姉妹のように弾んだ声で話をしながら、母親は手をふって「いってらっしゃい」と娘を送り出し、娘が「行ってきます」とマンションをあとにする。

母親は娘が通りの角を回り後ろ姿が見えなくなるまでじっと見送っているのだ。なんともほほえましい光景じゃないか。


 いつしか私はこの二人に朝会うことが楽しみになってきた。母親と娘さんの「おはようございます」ハキハキとしたあいさつを耳にするのも心地よい。何かこちらも朝から元気をいただいたようですがすがしい気持ちになる。この二人からはほのぼのとした家庭の様子が思い浮かばれる。


 今、日本では「道しるべのない時代」「しらけの時代」を向かえている。マンションの住人であってもあいさつさえしない人もいる。「無機質な時代」と言えばそうかもしれないが、人と人とのつながりが希薄である。そのなかにあってこの親子にはいっぷくの安らぎを感じる。


 私たちは自分の心を高めるために何をすればいいのだろう。とりあえず私は働こう。仕事に真正面から向き合い、一生懸命働くことで心を鍛えよう。

 私は子どもたちに
心の備わっていないものに真の学力など身につくはずもない。
学ぶものにふさわしい心を磨こう。

と訴えてきた。その教えがだんだんと実を結び、すばらしい学習空間が形成され、すばらしい学習成果も出てきている。


 でも、まだまだ。初老の体にムチうって『生涯現役』子どもたちの指導にかかわっていきたいと思っている。

2018年01月15日

星野仙一さん逝く

 「燃える男」「闘将」と呼ばれた星野仙一さんが4日に急逝した。私はもともと巨人フアンだったので、たえず星野さんとは敵対関係にあったのだが、それにもかかわらず大の星野フアンだった。


 それは中日の投手であった時、全盛期の巨人の王・長島に逃げることなく闘志むき出しで挑んでいく姿が強烈に印象に残っており、これぞプロ野球という感じで、そんな姿を見るのが「メチャクチャおもしろかったし、好きだった」からだ。


 私が高校野球の監督を務めた14年間は、星野さん範としていた。自分の夢を部員に語り夢が実現できるようる自分にも厳しく、部員にも厳しく指導にあたっていた。何かを成し遂げるには「自ら燃える人」でなければならない。自ら燃えるためには、自分がしている野球を心から好きになり、甲子園に行くという明確な目標を持ち、夢を語らねばならない。それが部員心をつかみ、ひきつける力と牽引力となる。そういう考えがあってのことだった。


 星野さんのすごいところは、ミスをした人間を責めない心の広さだ。北京オリンピックで日本チームの監督をしていた時、準決勝宿敵の韓国戦でGG佐藤が平凡なレフトフライを落球したことをきっかけで試合に負けてしまった。この時日本チームの監督をしていた星野さんは一度もGG佐藤を責める言葉を発さないばかりか、翌日の試合で彼を先発メンバーで使った。星野さんの男気と優しさを感じたシーンでもあった。

 しかし、これは監督になってからのこと。中日の投手時代、巨人戦でショートの宇野選手が平凡なボールを頭に当てた時、グラブをグランドにたたきつけ悔しがっていた姿が思い出される。あれも星野さん。これもまた星野さん。だから「メチャクチャおもしろかったし、好きだった」


殿堂入りパーティーの席上では
 「私の恋人は野球です。愛して愛して愛しています」
 「だからこそ、野球界全体。子どもたちの底辺拡大。高校、大学、社会人も結集して、野球界がひ とつになっていくことを後押ししたい」
 「プロもアマもない。野球界(全体)と考えれば底辺も拡大する」と熱く語っておられる姿が目に焼き きついている。
  くしくもこれがラストメッセージとなってしまった。


 弱小チームの楽天を震災の翌年に日本一に導いたのも星野さんだ。日本シリーズ最終戦に前日160球投げて負けた田中将大選手に、最終回に登板させたのも星野さんらしい。

情緒的な言葉で送りたくはないが、星野さん夢と感動を本当にありがとうございました。

野球をこよなく愛した星野仙一さんは私が惚れた男の中の男です。