2011年02月25日

学びを社会で生かす

 『まごの店』三重県相可高校の食物調理科生徒が運営するレストランである。高校生が地域の食材をふんだんに使ったメニューを開発し、食材の仕入れから調理・接客・経理すべてを行う。営業日は週末と休み中だけだが、これを目当てに午前10時過ぎから多くの行列ができ、予定の200食は昼過ぎには完売するという。

 
 早朝5時、生徒は食物調理科の村林新吾先生とともに魚市場に仕込みに行く。「日本料理で一番大切なのは仕込み。味の基礎になる仕込みをおろそかにしていては、おいしい料理はできない」というのが信条。そこで新鮮な魚の見極めを勉強するのだ。仕入れの後、営業日のメニューを生徒が決める。


 教育においても、基礎=仕込みが何より大切。野菜を切るとか、魚をおろすとかの基礎ができていなのに、応用に進んでも中途半端になる。

 心構えや姿勢など、精神面でも同じ。あいさつには特に厳しい。あいさつはよき人間関係を築くためにも、仕事を円滑にすすめるためにも、基本中の基本。同じ理由で身だしなみや掃除も重要視している。
 

 「料理は心だ。夢無限大」彼らのモットーである。その通り、テレビで見る彼らはきびきびしており、「いらっしゃいませ」のあいさつも機械的なものでなく、心がこもっていて実にすがすがしい。 
 

 この日のメニューは「花御膳」。10品以上もついて1.200円。料亭では4.000円以上もするぐらいの料理だとか。色合いに切り口も工夫されプロ顔負けの花御膳、行列ができるのもうなずける。
 

 調理科生徒を指導するのは村林新吾先生。村林先生は相可高校に調理科できた時、有名な調理師専門学校から招聘された。だから食物調理科の歴史は村林先生の築いた歴史でもある。それから12年の熱血指導。村林先生が創設した調理クラブは今や「調理甲子園」の常勝校になり、「調理クラブと言えば相可高校」とまで言われるようになった。


 村林先生の好きな言葉は西川きよしさんがよく使う「小さいことからこつこつと」。人生は失敗の積み重ね、高校生にとってはなおさらである。手を抜いたり、これでいいかと中途半端な気持ちで生徒に接すると、生徒はひねくれた考えを持つようになると言う。

 だから教育は真剣勝負。竹刀ではなく真剣をもっているくらいの覚悟で料理の指導に当たる。自分にも厳しく、生徒にも厳しいまるで昔の頑固おやじを思わせる。何か今の日本人が忘れたものを思い出させる。


 生徒は調理を通じて、社会に出ても即通用する「技術」と「知識」と「人間力」を身につけ、「忍耐力」を学び、自分独自の「発想」に目覚める、ここに、相可高校の調理科生徒就職率100%のヒミツがあるようだ。


これはもはや「調理道」といってもいいのではないだろうか。
                                 
                    参考資料    平成21年8月9日付 伊勢新聞

2011年02月01日

アジアカップ日本Vによせて

いやー、凄まじい試合だった。でも勝ってよかった。アジアカップの決勝戦、深夜にもかかわらずテレビにくぎ付けになってしまった。
 

 激闘の韓国戦準決勝から中3日、しまった顔がピッチに見られた。この試合、特に日本チームには、ベンチ、控え選手が一体となった「和」があった。終盤オーストラリアの怒涛の攻撃をチーム全員で体を張ってよく防ぎきった。
「柔よく豪を制す」とはこのことか。
 

 試合開始からオーストラリアは、はるかに勝る体格で高いボールを上げロングボールで攻め日本は押されっぱなしだった。ここでザッケローニ監督は、FWを下げDFを投入する策に出る。これにより左サイドの長友選手が押しあがり、守備が安定する一方、攻撃にも幅ができた。でも長友選手の運動量はすごい。何と彼はこの試合で15.19q走りに走り続けたという。彼に「疲れ」の2文字はないのだろうか。このポジションチェンジにより日本チームはより機能的に動くようになった。
 

 それにしてもザッケローニ監督の采配は見事だった。圧巻であったのは延長戦でフル代表で実績のない李選手を使ったこと。彼は見事期待に応えて決勝ゴールを奪った。韓国が母国の李選手は07年日本人として帰化し日本のナショナルチームの一員となった。起用に際し、「俺がヒーローになる」と心に誓ってピッチに立った。そして、あの見事なまでに美しいボレーシュート。
 

 監督の役割は選手のいいところを引き出すところにある。選手の特性を見抜いて、いい場面で選手を使う。辛抱強く選手を使う一方、ここぞと見極めた時に、それに適した選手を起用する。適材適所でなく、「適時」に選手を起用する。それにしても選手起用は見事にはまった。出てくる選手すべてが起用に応えた。アジアカップでは23人の登録選手の21人までがピッチに立った。
 

本田選手に「お前が決めるか?」と言わしめたように、エースストラーカーもいるが、ゴールを決める脇役もいる。成長しているなーと実感した平均年齢24.5歳の若い日本チームだった。
 
ザッケローニ監督は、選手時代にさしたる実績もないのに、イタリアのセリエAの監督まで経験し、チームを優勝に導いている。日本の監督候補としては下位にランクされ、上位候補者が次々と固辞したこともあり、回りまわってのオファーを受けたという。何か運命的なものを感じる。


 彼は監督に就くと、選手とのコミュニケーションを大事にし、控えの選手までレギュラーと同じように声をかけて回った。そして、何より日本文化を理解しようと努めた。
勝利の瞬間、選手が次々とザッケローニ監督のもとに走りより、抱き合った。それが何より監督と選手の信頼の絆の深さをよく表していた。


 優勝インタビューで「我々は11人でプレーしなかった。荷物持ちもそれ以外のすべてのスタッフも戦った。これは全員で勝ち取った勝利だ。」と語るザッケローニ監督。まさに総力戦だった。ブレない姿勢とすばやい判断。苦しい試合を重ねた分、喜びもひとしおだったろう。


 18年前のドーハの『悲劇の地』は、『歓喜の地』に変わった。