2010年06月21日

生徒が講師を育てる

「こんばんは」教場にいちだんと大きな声が響きわたる。K先生がやって来た。それは誰でもわかる。
 見るからに理系バリバリで真面目一徹、決して体育会系とは言えない。それでいてあのでっかい声はどうしたのだろう。


私は講師を新しく採用する時、講師になると、これから生徒から「先生」と呼ばれる重責を担うことになる。だから教場に一歩足を踏み入れたら「今日はやるぞ」とモチベーションを高め、「笑顔」「明るさ」で生徒に接するようにと指導してきた。それを見事なまでに実践し続けているのだ。


大きな声を出すことにより、自らを鼓舞し、気持ちを高ぶらせる。K先生は大学院で後輩の勉強のめんどうを見ているうちに教えることにやりがいと楽しさを感じるようになり、塾の講師になろうと決意したという。


エクシードの講師のほとんどは体育会系で、元気がよく明るい。その中でK先生は異色の存在だ。学究肌で、当初はコミュニケーション能力が乏しく、どちらかと言えば塾の講師向きではなかった。実際、授業の回数を重ねていくうち、「K先生を担当からはずして欲しい」という要望も少なからずあった。


 自信を失いかけた彼に私は「塾長の私だって変えて欲しい」と生徒に言われたこともあり、それは屈辱的だった。でも、俺は絶対あの子に、『塾長、もう一度授業を受け持って欲しい』と言わさせるように自分を磨こうと決意した。そしてその通りになった。
「君も生徒にそう言わさせたらどうだ。生徒にそう言わさせるよう自分を磨くんだ。」K先生の目の色が変わった。


そのことがあってから、K先生はより一層研鑽に励み、誰よりも大きな声で入室して自らのテンションを高め、塾生に自分の方から積極的に声をかけるようになった。教材研究は、完ぺき主義者の彼らしく前日の夜遅くまで予習をし、翌日の授業に備えた。決して器用とは言えないが、自作の教材を生徒に示し、わかりやすく説明しようともした。


今では、わが塾の理系科目のエキスパートとしてなくてはならない存在だ。はじめはどう接したらいいのか戸惑っていた生徒も、だんだんとK先生のペースとリズムに慣れたというかはめられ、生徒のほとんどが彼を頼りにするようになってきた。最近は、「授業がわかりやすい」とK先生を逆指名してくる生徒も多い。


 コミュニケーションはキャッチボールと同じだ。キャッチボールの基本は、まず相手がキャッチできる距離まで近づくこと。相手をよく見ること。そして、ボールをよく見ること。 自分のボールを受け取ってくれと懸命に生徒に呼びかけ、見事生徒の心をキャッチした。
渡辺淳一さんは、どんなにつまづいてもへこたれないで、情熱をひたむきにたぎらせ、突き進む力を「鈍感力」と言った。K先生にはこの「鈍感力」があったのだ。


生徒が講師を育て、講師を変えた。エクシードはまだまだ進化の途中だが、私はこの塾を誇りに思う。

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